
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2026年5月2日(土)道標日記No.555です。 ご来店ありがとうございます。
GWですね。皆さまはどんな過ごし方をされるでしょうか。私は特に予定は決まってなく、また意思の弱さからだらりとして生活をしてしまうのだろうなぁ、とちょっと憂鬱になっています。
今回はそんなGWと保育のお話を綴りたいと思います。
今年は4月30日(昭和の日)が週の真ん中の水曜日だったということで、その翌日には「今日は月曜日じゃなくて木曜日か」と思われたかともいたのではないでしょうか。私も、そして保育の子どもたちもその保護者もそんな感覚をまとっていました。
なので、休み明けらしい子どもの姿と、いまいちに平常運転に戻りきれない大人の姿があり、「あと2回行ったらお休みだからね」という言葉もよく聞きました。そして、バイバイで悲しくなってしまった子を切り替えさせるために、また定型文のように「昨日はなにしたの?」「次の休みはなにするの?」と聞いてしまうのです。
楽しかったことを思い出す。次の楽しみを期待に膨らます。そうすることで気持ちを立て直すことはできますが、“一時しのぎ”のテクニックになっているような気がします。ごまかしというか、やり過ごすという感じです。これも大人都合の世界に子どもを合わせているだけかもしれません。
だからでしょうか。GW明けは、もう過度な楽しいこともない、一時しのぎも使えないので、大人も子どもも悪夢のような日々が始まり、このことがより心と身体を疲弊させてしまうのではないでしょうか。私の尊敬する保育の先生は、GWはなるべくいつも通り過ごしなさいと言います。特に新1年生は。GWにいつもと違うことをして、遠出を疲れすぎて、疲れたを抱えたまま学校に行くとしんどい。だから新一年生のGWはどこにみおでかけをしないことを勧めていました。子どもを苦しめているのは私たちの暮らしの中にあるものかもしれません。いや、子どもだけでなく大人も同じかもしれません。
また、GWは、子どもに自分の“環境”を感じさせるものでもあると思います。何気にない「某テーマパークに行くの!」「お泊まりするの!」というやりとりをしがちですが、それは、それができる環境に置かれたもの同士の会話であって、その会話に参加していない子もいるでしょう。小さい子どもは「私の家はどこもいかないな」「みんなどこかにお出かけしていいなぁ」とまだ言葉にできないものをジワジワと“実感”しているのかもしれません。なので、当たり前の行事や暮らしの中であるふるまいが子どもを傷つけることになるかもしれないから気をつけなければならないと思っています。
私はなるべくこのGWは“いつも通り”“平常”を保っていようと思います。そうすることで、GW明けの子どもに寄り添えることができるのではないかと思うのです。まあ、これは自分のためでもあるのですが。休みだからって、詰め込みすぎたり、デジタルばっかり見やすい自分にここで釘をさしておきます。
なにはともあれ、皆さんにとって最善のお休みになることを願っております。怪我や過ちのないように。
さて
今回の道標日記は👂耳勉強 【 人間の弱体化 】 角幡唯介さんと芸人・永野さんの対談を受けての
🗺️Wonder Journey 【 保育者の弱体化 】 その①
を紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
👂耳勉強 【 人間の弱体化 】 角幡唯介さんと芸人・永野さんの対談を受けて

いらっしゃいませ 地図屋でございます。
私は毎日“耳強”をしております。“ながら”勉強できる耳勉強は最高の自己投資です💪😊✨
今回は Youtubeチャンネル 5年後の世界 さんの
▶️【 “人間の弱体化” 】からの学びを綴らせていただきます。
日々、子どもとむき会う私。その中で、文明の進歩は“子ども”にとってどうなのか?、そんな“問い”があり、今回の耳勉強がなにかヒントになるような気がしました。
今回の動画は、角幡唯介さんと芸人・永野さんとの対談になりますので、チャット風に綴っていきます。前回の角幡唯介さんと東出昌大さんの耳勉強もぜひご覧ください😌👂
🗺️Wonder Journey 【 保育者の弱体化 】 その①
今回は、角幡唯介さんと永野さんの対談を勉強させていただきました。その対談を受けて、保育者×猟師の視点から振り返ってみようと思います。耳勉強として振り返りをがっつりと綴るのは初めてですが、お付き合いいただければ幸いです。
保育士を辞めた理由
少しばかりハードなタイトルになりましたが、、悪意はないことをわかって頂けたらと思います。
私は保育者ですが、数年前に正規職を退職し、今は非常勤として働いています。
理由は、正規でいた自分が
“自分の都合の良い保育をするようなっていた”
“自分の保育の限界を感じた” になります。
他にも、夢である海外の保育園で働いてみたい、家族との今しかない時間を大切にしたい、もう一度勉強したい、などがあります。そして退職してからは、通信制大学に通う、海外の保育に触れる、など様々な学びの機会をもらいました。
今は、大人の物差しや評価で子どもをみるのではなく、“子ども”そのものに気づける保育者になりたい、と考え、自然の中に身を置き、そして四季とともに生活(生きるための活動)をする猟師の生業に興味を持ち、狩猟の道を歩んでいます。
今、非常勤になって、そして、常に学び続けているということもあって、自分としては子どもを保育を一歩離れた場所から見ることができていると思っています。正規職の時のような“責任”(行事への取り組み、保護者対応、他機関との連携など)がない状態が続いていることもあってか、保育の中にある“ノロイ”や“ものさし”が薄れていっているのを感じています。
そんな私が出会ったある日の子どもの姿を綴りたいと思います。
ある日の“自力”を発揮した子どもの姿
A君は進級して年長になりましたが、仲が良かった友達が卒園してしまい、新年度になってどう過ごしたらいいかわからず“退屈”になっていました。退屈になると、つい、棚の上に登ったり、色々なことを試してみたくなり、それは時に大人にとって“困った行動”(困っている行動)になるので止められることが多く、さらに不満足さを募らせ、退屈さが増していってしまう状況でした。
大人が一方的に退屈しのぎ、遊びの提供、刺激を与えることは簡単ですが、そのような場合、その大人がいなくなると、途端に“困った行動”をとってしまいます。最近、私はその大人が提供することに、どこか大人都合、大人の意図が多めに含まれ、大人の描く理想像へ誘導していくことになるのではと、そのような提供保育をやめるようにしていました。そして、“困った行動”があらわれた時には、その子のそばに寄り添い、その子の内面から“面白さ”が沸き立つのを待つ、観察するようにしました。(ここでは観ることではなく、その子の他者との関係性、置かれた環境、心持ち、その日の天気や空気感も含めてその子を知ることとしています。)
その時に、園庭の木を伐採して出た枝を片付ける“しごと”があったことを思い出しました。私は普段から、子どもをよく知れるように掃除や草むしりなど“しごと”をするようにしていました。子どものかたわらで仕事をしていると、子どもは大人のふるまいに興味を持ち、そのしごとを手伝ってくれます。だから、枝の片付けの仕事を始めたとしても、私にとっても子どもにとっても、違和感のない、いつもの“生活”だったのです。私はこの枝を折る作業がこの子の“自力”を発揮できる機会になるのではないかと考えました。
「〇〇ちゃん、枝を折る“しごと”、手伝ってくれない?」

続きは次回の道標日記No.556で

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耳勉強 ▶️5年後の世界 【 人間の弱体化 】

旅する保育者 地図屋のMy Wonder Journeyはコチラ🫱

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本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️

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