
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2026年道標日記No.です。 ご来店ありがとうございます。
今回の道標日記は
を紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
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🗺️My Wonder journey 【 “子どもの声をきく”とは 10月19日(月) 】
この日は母校の卒論研究のお手伝いがありました。テーマは“子どもの声をきく”でした。こんな半分保育者を引退したような私の話をきいていただけるなんて。
保育者数人に“子どもの声をきく”ことについて、実践や大切にしていること、悩みや難しさをインタビューしていくものでした。久しぶりに一方的に喋ってもいい場(笑)ということで、たくさんお話をさせていただきました。
・私の“子どもの声をきく”実践
・“子どもの声”とは
・“子どもの声”を聴くために大切にしていること
・今は“子どもの声がきこえなくなった”
・今の保育の状況と抱えている課題 そして私ができること
などなど、たくさんお話を聞いてもらいました。話したことは研究の材料となるので、ここでは多くを綴らないでおこうと思います。なので、ここでは改めて、『なぜ、子どもの声をきく』のかを考えたいと思います。うーん、そんなこと言って、えらい問いを自分にたててしまったと後悔しています。
なぜ、私たち保育者は、子どもの声をきくのでしょう?きこうとするのでしょう?
それは子どもの権利を大切にするため?子どもを尊重するため?子どもの権利条約に批准

こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育や学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場にしたいと思い始めました。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
今回は、【 】です。

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🗺️My Wonder journey 【 若手は“いま”の子どもをみている 】

こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育や学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場にしたいと思い始めました。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
今回は、【 若手は“いま”の子どもをみている 】です。
給食中にお皿が割れるトラブルが起きました。子どもが下膳をしているときにお皿を落としてしまったようです。
私は応援に入り、一緒に掃除をしたり、子どもが怪我をしないように誘導をしました。この日のメニューは主菜の油などでヌルヌルしていて子どもには持ちにくかったかもしれないと、まあ、しょうがないかぁ、と済ませていました。
給食後、子どもたちと絵本や紙芝居を見る時間があるのですが、始める前に担任が子どもたちにお皿が割れていたことを投げかけていたのをみました。
「どうしてお皿割れちゃったのかな?かさねたらあぶないぁ。どうしたらいいんだろ?」
その問いはまっすぐ子どもたちに向けられていました。私はそれに大きく尊敬の念を持ちました。
投げかけられた子どもたちも、それにまっすぐと答えていました。それは一緒に“考えあう”姿勢が感じられました。正解を出すのではなく、先生に気に入られる答えをいうのではなく、それぞれが尊重し合っている“集団”がありました。
若手のこのような場面を以前にもみたことがあり、その時、私は心から保育から“引退”することを確信しました。今回もそう思ったのです。ここに続けて私の思いを綴っておくと、引退を思ったのは「敵わないな」とかではなく、「これからの保育を育てていく人の邪魔をしてはいけない」という思いからです。
話を戻します。
この話をしている時、隣部屋では泣いている子に対応しているもう1人の担任がいました。私は、この話し合いの方にこの担任も入ったほうがいい(共有できた方がいい)と思い、「〇〇くんとこっちの部屋にいとくし、こっち(集団)に入る?」と声をかけました。しかし、そのもう1人の担任は、
「こっちで〇〇くんと掃除します。そのほうが落ち着けると思うんで。」、と答えたのです。
その時は、「そっかぁ」と少し残念に思ったのですが、後から考えると、ここには担任同士が互いを信頼しているということに気づきました。
話しをしていた担任は、もう1人の担任とその場を共有することを特別求めてなかったし、もう1人の担任は今目の前の子どもに寄り添うことが大切だと考えたのでしょう。それは互いが互いをまかせ、信頼しているだからことだと考えました。
この場面で、私は自分が“いまの子ども”をみる保育が“もう”できなくなっていると感じました。
お皿が割れて、私はそのことを子どもと話そうとも考えませんでした。そして話をしようとしても、園長や給食の職員に言われたりしてからか、その顔を浮かべてながら、子どもをまっすぐには見ずに、子どもではない、他のことのため(責任、人に言われたからなど)に話をしたのではないかと思います。そうでなくても、建前を持って子どもと向き合うようになってしまった自分がいると思いました。
私は、こんな自分を本当の保育者とは思わなくなり、“上手に保育をする者”と考えています。だからこそ、真に、子どもと向き合う、保育と向き合うものがいるからこそ、その保育をこわさずにみていきたいと思いましたし、邪魔をしたくないので“引退”が頭によぎったのです。
幸せであってほしい
一方の相方は別の子の対応に 共有しておいて方がいい
保育がうまくいくことに重きをおいていて“今の子どもをみていない”

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それでは
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