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☕️40歳からのキャリアブレイク

地図屋
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いらっしゃいませ 地図屋でございます。ご来店ありがとうございます。

今回は、40歳で正社員を退職し、パートになり通信制大学に通うようになった私の“40歳からのキャリアブレイク”について綴らせていただきます。

私の夢への歩みや習慣が、皆さまのお手伝いになれば幸いです。

夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌☕️

☕️【 40歳からのキャリアブレイク

 皆さまは“キャリアブレイク”という言葉をご存知でしょうか?私もこの言葉を知ったのは最近のことで、習慣である耳勉強で出会いました。

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学識サロンさんの動画 北野貴大さんの【 仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択 】

  キャリアブレイクとは、キャリアの中にあるブレイク期間のことで、一時的に休職・離職し、仕事に就かない期間をもつことで自身にとって良い効果があることをいうそうです。これは造語ではなく、アメリカなどでは一般的に使われていることばで、キャリアブレイクをすることで仕事を辞めて落ち着いて考える時間を設けることで人生が好転していく可能性があるといわれています。

 私は中間管理職を務めており、仕事にやりがいを感じていました。その仕事を一生続けたいと思うほどです。しかし、自分の成長の限界、次の世代の育成、そしてその大好きな仕事をやり続けるためにもっと成長したいと考えました。なので退職し、海外で働くという夢を叶えるために通信制大学に通いはじめました。

 退職して1年半以上がたちました。このようなあまりできない経験をさせてもらっていることは、本当に周りの人に感謝しています。そして、このような立場、キャリアブレイク中だからこそ気づけたことがたくさんありました。

 今回は、キャリアブレイクした私の経験を綴らせていただきます。私の経験が同じように、キャリアブレイクしたい方仕事との向き合い方を変えたい方、そして夢を叶えたい方のお手伝いになれば幸いです😌

 今回は、以下の項目を順に綴らせていただきます。

1、半業主夫にな

2、自分の力を貯める時間 

3、今しかない家族との時間

4、40代という折り返し地点

5、心から仕事が好き

以上になります。

それではまいりましょう😌

1、半業主夫になる

 正社員を退職し、半日のパート勤務になりました。午前中に仕事をし帰宅したら、そこから通信制大学の勉強(昼活)をしています。

 大学の勉強していると、我が子たちが学校から帰ってきます。一緒に勉強をする日もあれば、習い事の送り迎え、学校の友だちと遊んでいたりといろいろです。この“いろいろ”ができることがキャリアブレイクをして幸せだと感じたことです。このことについては次項の“今しかない家族との時間”でお伝えさせていただきます😌

 勉強を終えると、夕飯作りをします。

 私は、退職するまで料理をしたことがありませんでした。いつも私以外の家族がつくってくれており、私しかいない時は子どもたちを連れて外食ばかりしていました。

 その私が今は夕飯を作るようになりました。毎日ご飯をつくっている方からしたら、「そんなの当たり前!甘えすぎじゃない!」と思う方もおられると思います。私もちょっとだけそう自分に思うところもありますが、そのような自分だったからこそ今の自分になれたのだと思います。フルで働いていた我が家はこれで家庭のバランスを取っているところもありました。

 まあ、今の料理をしている自分は1年半前には考えられませんでした。自分でも驚いています。料理ができない(しない)代わりと言ったらあれですが、それ以外の家事(洗濯、トイレ風呂掃除、掃除機など)はやっていました。なので退職してからは、料理を含むほとんどの家事をするようになりました。半業主夫です。

 40代で半業主夫をしている人は少ないと思います。働き盛りですからね。なので貴重な経験をさせてもらっていると周りの人に感謝しています😌料理もできるようになったことも😆

2、自分の力を貯める時間

 私は海外で働くのが夢です。正確には夢でした。一年半前海外で働くための資格取得のために退職し、通信制大学に通うことにしました。

 人生で2回目の大学は、自分で通いたいという強いもあり、真剣に勉強をし、そして同じような志を持った幅広い年齢の方々と会う機会にもなり、有意義な時間を過ごさせてもらっています。これまでの自分の力を試すことができ、そして力不足を痛感する日々です。

 けれど、これだけではありませんでした。

キャリアブレイク期間に入ってから、面白いことがたくさん起こりました。

・実際にニュージランドに行く

・テレビに出演する

・テレビの生放送に出演する

・道標人(みちしるべびと)たちと国内を旅しながら研究する

・大学の先生たちと出会う

・講師の仕事を頼まれる

・ジャーナリストからインタビューを受ける

 思い出しただけでもこれだけの成長の機会をいただきました。退職してなくても巡ってきたかもしれませんが、そのチャンスを断らずに行動に移せたのは、退職して身軽だったことは大きいかもしれません。

 なので私のキャリアブレイクは、通信制大学に通うようになってからの知識的なものだけでなく、多くのもらったチャンスから自分の幅を広げ、力を貯める期間となりました。これは今も継続中です😊

3、今しかない家族との時間

 私は退職する前は毎日フルで働いていました。中間管理職だったので休みの日も仕事に行くことがありました。好きな仕事だったので苦もなく、この仕事にやりがいを感じていました。

 私には子どもが2人います。パートナーもフルで働いていたので義母にサポート、というか、家のことのほとんどをお願いし、私たち両親2人は働いていました。

 子どもたちは学校が終わったら学童に行き、そして習い事は義母に連れていってもらい、夕飯も義母と食べることが多かったです。その時は私は、子どもに申し訳ないと思いつつも、「子どものために一生懸命働いている」ということを自然に思っており、これが当たり前の感覚だと思っていました。

 しかし、気づきました。やはりおかしいと。

 自分の子どもなのに子どもと過ごしていないこと。我が子の子ども時代はあっという間に終わるのにこれで良いのか、と。

 色々なことがきっかけにありましたが、“今、子どもたちと過ごしたい”“子どもたちに子ども時代を送らせてあげたい”と思い、退職をして家にいる時間を持ちました。

 私が退職したことで、子どもたちは学童に行くかどうかを決められるようになりました。それまでは学校が終わったら学童に行く生活だったので叶えてることができなかった“友達と遊ぶ約束”をすることも選択肢に持てるようになりました。習い事も私が送り迎えをできるようになりました。一緒に夕飯の材料を作ったり、おつかいを頼んだり、夕飯を一緒に作り、一緒に夕飯を食べることができています。夕方に一緒に遊ぶこともできています。一緒に宿題をすることも、お風呂の順番でもめることもできます。

 このように家族との時間をたくさん持てるようになりました。これはお金では買えないし、今しかないものです。私はこれを感じられている今、“キャリアブレイク”してよかったと心から幸せに感じています。

 このあたりまえの贅沢を経験させてもらっている家族、周りの人、環境には本当に本当に感謝しています。

4、40代という折り返し地点

 今、人生100年時代と言われています。けれど、どこかそんなには生きられないだろうなと思っています。

 それでも80歳まで生きるとしましょう。80年を週になおすと4000週間になります。私は今、41歳です。人生の折り返し地点に来たということになります。つまり、残りの人生はあと2000週間もないのです。

 そう考えた時、「本当にこのままでいいのか」と考えました。幸せはありましたが、繰り返しである“守り”の毎日にどこか満足していない自分、やり残したことがある自分がいました。

 色々な人との出会いや勉強を通して、このままでは人生を終われないと思いました。インフルエンサーであるイレブンさんはその書籍でも「40歳までは人生の研修期間」と述べています。人生の大体のことを経験し終わり、ここからどう歩むかが問われる年齢なのだと思います。

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👂地図屋の耳勉強集 〜40代から人生を変えていく〜

 私には夢がありました。それは、海外で働く夢です。その夢は、もう手に届くところまで来ていた時もありました。その時は別の夢を取りましたが、諦めたというわけでもなく、定年になったらその夢を叶えようと“保存”していました。

 40歳が近づいて時に、その“保存”されていた夢が開かれました。それは人生の研修期間を終えたからかもしれません。

 ここからは年をとって、体力や経験、知識など、これまで貰ってきたものを返していくのです(エピクとテスの哲学)。ほとんどを返した時に夢を叶えるよりも、返し始めた今、まだ貰ったものがたくさんある今の方が夢へと向かう力があると考えました。

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このまま仕事を続けても同じことの繰り返しの中で成長はしづらい。

家族との時間は今だけ。

  研修期間を終えた今だからこそ、人生残り半分だからこそ、自分の本当の願望である夢を叶えよう

 そう強く思い、私は退職をし、41歳の今、キャリアブレイクの道を選んでいます。

5、心から仕事が好き

 私は仕事が大好きでした。仲間に恵まれ、そして全国の素敵な方々ともつながり、中間管理職にもなり、その仕事を一生やり続けると思っていました。けれど、退職しました。

 なぜかというと、成長の限界が見えたからです。これは自分だけではなりません。仲間も、そして職場も、その業界もです。

 私は前線で活躍していました。させてもらっていました。自分で言うのもなんですが、仲間にも一目置かれ、尊敬してもらえていると実感していました。しかし、そこに疑いを持たなくなり、慢心し始めた自分を感じたのです。自分の意見が通りやすくなり、みんなが自分の意見に疑問を言わなくなり、自分の都合の良いように仕事を回しているような感覚がありました。これがものすごく怖かったのです。 

 それだけではなく、周りも頼りにしてくれることは嬉しいのですが、私に“正解”を求めてくるようになりました。つまり、仲間が自分で考えて自分の最善を尽くさなくなってきたのです。この仲間の成長もとめてしまっていることにも責任を感じていました。

 私は職場の中では日々鍛錬をしていた方でした。読書をし、研修会には積極的に参加し、チームの質の向上のためにマネジメントも学び続けていました。周りには同じように勉強し続ける人が上司ぐらいしかおらず、私は特別な存在になっていったので、このようなことになったのかもしれません。

 なので、私は“成長”のために、身を引くことにしました。そして1から勉強するために通信制大学に通うことにしました。今は客観的になれるポジションとして、パートとして職場で働いています。

 仕事の役から離れ、学びながら、仕事を見つめ直せる まさしく“キャリアブレイク”になりました。

キャリアブレイクし、改めて気づいたこと それは

自分がこの“仕事”が本当に好きだということです。

 離れて、さらに業界の色々な人と出会い、さらに勉強するようになり、この仕事がやりたくてやりたくてたまらなくなりました。このことに気付けたことはキャリアブレイクをしたからこそです。仕事から離れたからこそ、仕事が自分にとってかけがえのないものだということに気付けました。自分のありのままをぶつけ、さらに成長でき、そして仲間とつくり合うよろこびがある仕事。仕事は楽しいものであり、人生を充実させてくれるものである。このことを心から思えるようになり、幸せを実感できているのです。なのでキャリアブレイクをして本当に良かったです。

まとめ

 以上、地図屋の40歳からのキャリアブレイクについてつづらせていただきました。

1、半業主夫になって

2、自分の力を貯める時間 

3、今しかない家族との時間

4、40代という折り返し地点

5、心から仕事が好き

 いかがだったでしょうか?😌私はキャリアブレイクしたことで自分の人生を大きく変えることができていると実感しております。40歳じゃなくても、今、仕事との向き合い方、人生の歩み方について考えておられる方にとって、私の経験が少しでもお役に立てればと考えております。

私の夢への歩みが皆さまの夢への歩みのお手伝いになれば幸いです🗺️

本日もご来店ありがとうございました😌

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地図屋がキャリアブレイクを知るきっかけになった耳勉強はコチラ🫱 👂

学識サロンさんの動画【 北野貴大さんの仕事のモヤモヤに効くキャリアブレイクという選択 】

  

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本日もご来店ありがとうございました。

毎日が皆様にとって素敵な日になりますように

それでは

Have a nice dream day.🎫✈️

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