
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2025年月道標日記No.です。 ご来店ありがとうございます。
今回の道標日記は
を紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
☕️よりみち 【 なぜ“この道”を歩んでいるのか 】 その④ 済
🪧その④ 次、目指すものは?
ニュージーランドに行く目標が早くも叶ってしまった(現実を突きつけられた)私は、次の道がわからなくなりました。
🪧ニュージーランドに一緒に行った人たちのように研究者の道へ行くか
🪧実践者に戻って、勉強しつつ、保育を先導(ちょっと偉そうな言い方ですが)する道に行くか
歳も歳なので、チャレンジできる機会は減っていき、それが焦りにもなっていました。
しかし、ニュージーランドに行き、そして、その後も色々な保育・教育の現場に行く機会があり、ふと思ったことがありました。
“保育”とはいったいなんなのだろう と。
ニュージーランドでは素晴らしい保育の現場、尊敬できる実践者・研究者に出会うことができました。一方で、社会や大人が求めることに応えるための“サービス”のような保育にも出会いました。それは日本の保育現場でも見たことがあるものでした。
グローバル社会になり、皆が情報を簡単に手に入れられるようになった今、どこかでその情報が操作され、皆が“同じもの”を目指してしまうのではないかと私の中では危惧するところがありました。操作されていなくても、輝かしく“付け加えられたもの”“加工”されたものに惹かれて、皆が同じものを目指してしまうのではないかとも思いました。
私は保育現場も同じようになっている気がします。それが子どもの幸せだと信じ、付け加えることに必死になっていく。理想の子どもに仕上げていくこと、それが保育なのでしょうか。
私は、せめて、乳幼児期は、子どもには子どもらしく過ごしてほしい、と思いました。それが保育なのではないかと思っています。しかし、大人にとって、社会にとって都合のいい人間になるためになってはいないでしょうか。
保育がわからなくなった時、そのヒントをくれたのはやはり“子ども”でした。
加工されず、“与えられた夢中”、うちからでる“ほんものの夢中”を持って生き生きとしている子ども。そんな子どもに出会うのは、“自然”のなかでした。それは保育の場で、そして我が子からも感じ取れました。
しかし、私は自然を避けてきた人間(デジタルなど)なので、自然の中で過ごす子どもを“知る”“みつける”ことができないと考えました。
そんな時、浮かんだのが、あるお子さん、そしてそのご家族である“猟師”だったのです(詳しくはWonder journey【加工されていない世界へ】で)
そして、私は猟師の世界へ向かい始めたのです。
次回は最終回、道標日記🪧No.532 人として生きる 狩猟の道 を綴らせていただきます。



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本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️



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