
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2025年5月17日(土)道標日記No.507です。 ご来店ありがとうございます。
最近、“狩猟”にどハマりしている私です。私が注目している猟師さんは、東出昌大さん、服部文祥さん、千松信也さんです。
これはこの方を知っていった順番なのですが、東出さんから服部さんを知り、そして千松さんを知っていったのですが、これがフシギなフシギなご縁の予感がじわじわとしているのです。
Youtubeの動画から始まり、書籍も読み始めているのですが、服部さんの書籍の中に遠い知り合いができてきたり、千松さんの書籍にはかなり近い知り合いができてきたり、これは“狩猟”の世界が私を読んでいる!?と、一人で勝手に運命を感じている私です。
でも、千松さんの書籍に出てくる人物が本当に近しい知り合いかどうかは、まだ確認が取れたわけではないのです。しかし、記載されているその人の名前を見た時、私はその人に会えないか人づてにアポを取っていました。そして、なんと会えることになったのです!!
これのチャンスを活かしたいと思います!もう勝手に妄想が膨らんで、その人たちの狩猟にお供させていただきている自分を妄想している私です!ニュージーランド旅以来の数奇な運命の巡り合わせに興奮している私です!!
5月はやはり何かが起こる!!
さて 笑
今回の道標日記は
☕️よりみち 【 地図屋のデジタルデトックス その② 】
🗺️My Wonder journey 【 加工されていない世界へ? はじめに 】
を紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
☕️よりみち 【 地図屋のデジタルデトックス その② 】

☕️今回のよりみちは、デジタルデトックス編です。SNS、Youtube、インターネットなど地図屋さんも大好きなデジタル。そんなデジタル社会の中で、地図屋さんがデジタルとどのように向き合っているのかを綴っていきます。
2、寝る時はスマホではなく本
前回はお風呂でのデトックス。今回は睡眠です。
もうこれは言わなくてもいいぐらい睡眠中のスマホは良くないことは皆さまもご存知だと思います。でも、そう言われれば言われるほど、寝る時にスマホがみたくなりませんか?私もそこで抗っています。
寝る前のスマホは良くない! これを聞くたびにデジタルデトックスに挑戦するのですが、花金や一人になれた夜など、つい解禁したり、「ちょっとだけなら」「音だけ聴くだけだから」と自分に甘くなってしまう私がいます😅
この葛藤?を繰り返しながら、少しずつ、就寝のデジタルデトックスに向かっていっている私です。
意思を強く持てた時は、寝室にはスマホを持ち込まないようにし、本を読むようにしています。活字が苦手な私なので、本を読み始めるとすぐに眠たくなるのでスマホと一緒に寝てる時よりも質の良い睡眠をとることができています。翌朝の自分の状態もバッチリです。

やってみてこれはポイントだなと感じていることは、スマホより魅力的な“本”に出会うことだと思います📙
今、私は“猟師”“ジビエ”“狩猟”にハマっているので、このジャンルの本が手元にある時は寝るのが楽しみになっています。これが意思の弱い私にとってスマホに打ち勝つ方法です。
皆さまも、好きな本を読んでスマホから離れて良い睡眠を GETしてみてはいかがでしょうか😌

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👂ドーパミン中毒 (デバイスから距離を置く)
👂仕事中毒は幻想だ (デジタルの功罪)
👂満足せず夢に向かって (オフラインの趣味を持つ)
👂最高の体調のつくりかた (新しすぎるものは使わない)
次回は
3、ゲームにゲームされるのでなく、自分の冒険を
を綴らせていただきます🪧

🗺️My Wonder journey 【 加工されていない世界へ? はじめに 】

こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育や学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場にしたいと思い始めました。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
今回は、【 加工されていない世界へ? 】です。
私は、今の社会、そしてこれからの社会を“加工された社会”と考えています。
これは、尊敬する川田学先生の書籍「保育的発達論のはじまり」に書かれていた“脱臭”ということばを受けて、今の私が社会に感じているのが“加工社会”です。
地域で子育てをしあっていた時代は、子育てをしている人が近くにいて、教えられなくても子育てを知ることができていました。しばらくして、社会の発展とともに、核家族化や少子化、地域コミュニティの希薄化により、“子育て”はみえないものになり、育児書やテレビなどで“子育て”を知るようになりました。そこにある“子育て”は、子育ての生臭さというか、子どもの全力と向き合う、予定どおりにいかないしんどさなどを消したものです。私もこの脱臭された子育ての中で生き、脱臭された中で子育てをしてきました。
しかし、今は、脱臭されたところに“付け加えた”つまり“加工”された子育てのように感じています。
情報と身近になり、どこでも子育ての情報、他人の子育ての姿をみられるようになりました。でも、大体目につくものは、子育ての匂いが消されている上に、色々なものが足されていて、きらびやかにみえる“加工された子育て”ではないでしょうか。
これをみると、なんだかざわつく私の心があります。
「うちの子にもこんな経験させてあげなきゃ」「自分もこんな子育てをしなきゃ」
それは、子育ての参考になるというよりも、プレッシャーになることがあります。子育てに不安がない人はいないと思います。そこに、自分とは全く関係ない人、環境も違う、子どもも自分も違う、本当かどうかもわからない子育ての情報に触れる、触れやすくなった現代は、子育ての不安を解消するのではなく、不安をかきた立てるものになっているのではないでしょうか。
そんな中に子どもも親も生きています。焦りから自分や近しい人にも付け加えることに忙殺して、それが当然になると、加工された世界が常識で、そこを生きる加工された人間=つくられたウソっぽい人間になってくるのではないでしょうか。私の天邪鬼な眼からみるとですが。
私もずっと自分を肯定するために加工し続けることを正しいと思い込み、生きてきましたが、「果たしてこれでいいのか、、、」 そして、保育に対しても「その社会で生きていくための子どもを育てる、それが保育なのか」「保育とは一体なんのためにあるのか、、」と考えるようになりました。


次回は『ほんものの子どもに会うためには』を綴らせていただきます。



本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️
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