
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2025年4月5日(土)道標日記No.502です。 ご来店ありがとうございます。
新年度がはじまり、皆さまはいかがお過ごしでしょうか😌
私はというと、2年のキャリアブレイク期間を終えて、今年度からフルタイムの働き方に“戻りました”。
理由としては、通信制大学の勉強があとはレポートだけになったこと、我が子が小学校を卒業し今年度から生活が変わること、金銭的な余裕が欲しくなったことなどあります。
フルタイムに戻って思うことは、やはりハードだなと思うところ、勉強との両立の難しさ、新しく習慣を見直すこと、ぐらいでしょうか。
ありがたいことに講師の仕事もいただき、今年は改めて自分の歩く道を考える年になっています。
ただ、がんばりすぎないようにだけ気をつけて、その日の最善を尽くしていこうと思っております。
皆さまも、無理だけはなさらずに😌充実した日々を願っております。
さて
今回の道標日記は
☕️よりみち 【 ハワイで楽天モバイルを使ってみた 2024 ⑤ 】
🗺️My Wonder journey 【 ペアレントクラシー 】
を紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
☕️よりみち 【 ハワイで楽天モバイルを使ってみた 2024 ⑤ 】

☕️今回のよりみちでは、2024年にハワイで楽天モバイルを使用してみた地図屋さんの体験談を綴らせていただきます。これから海外旅行、海外で楽天モバイルを使ってみようと思っている方のお役に立てれば幸いです。
4、最終日の通知
海、ホノルルマラソン、ダイヤモンドヘッド、そしてポケモンGOと、4泊6日のハワイ旅を満喫した地図屋。最終日はホテルを7時に出て、11時の飛行機に乗って日本に帰るのみです。
ホテルから空港までは専用のバスで移動しました。バスに乗り、空港へ向かっている時、スマホに通知が来ました。
契約していた楽天モバイルの高速データー通信の使用料が上限に達したことをお知らせする通知でした。
ここからは回線速度はものすごく遅くなり、右のX(旧Twitter)の投稿にもあるようにナビとXは使用できましたが、あとはほぼインターネットが使えない状態でした。でも、最終日ということもあり安堵と感謝の気持ちが大きかったです。
最終日にインターネットが使えないことの心配はありませんでした。出発時間までは空港内のWi-Fiを使うことができますし、飛行機内でスマホはほとんど使わないし、日本に着いたらいつも使っているdocomoのキャリアに切り替えるだけなので。
ということなので、、、
ハワイで楽天モバイルを使ってみる
という目標は達成することができました👏途中、危うい場面もありましたが、データー量の追加することなく、海外データーローミング2Gの1,078円で収めることができまし!😆これでニュージーランドに続き、2カ国目での達成になります。
ここまでは私が楽天モバイルをハワイで使用してみた様子を綴らせていただきました。最終回である次回は、楽天モバイルを使ってみての振り返りを綴らせていただきます😌


🗺️My Wonder journey 【 ペアレントクラシー 】

こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育や学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場にしたいと思い始めました。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
今回は、【 ペアレントクラシー 】です。
ペアレントクラシー
これは私が通信制大学のレポートを書くときに読んだ論文に載っていた言葉です。そして、自分が感じていたものがこれなのだと、しっくりときた言葉でもあります。
この言葉は、イギリスの教育社会学者 フィリップ・ブラウンが生み出した造語であり、「家庭の富と親の願望」が子どもの将来や人生に大きな影響を及ぼす社会ということです。
少し前に“親ガチャ”という言葉もありましたね。これもものすごい言葉だと感じました。この言葉の意味を初めて聞き、自分を振り返ったとき、自分の親にはマイナスな感情は生まれませんでしたが、自分の子どもに向けたときは不安が心の中に生まれました。
“自分はこの子の親だが苦労させていないか”“幸せだと思ってくれているのか”“十分な経験をさせてあげられているのか”。
親の立場としてものすごいプレッシャーのかかる言葉だと思いました。我が子にいつか「こんな親の元に生まれてこなければよかった」と言われたら、ものすごくつらいでしょう。親も「こんな親でごめんね」と思ってしまうことはものすごくつらいことでしょう。
グローバル社会になり、インターネットを通じて色々な情報が手に入るようになりました。今まで関わることのなかった人たちの生活もみえるようになりました。その人たちと比べやすくもなり、自分の人生がみえてしまったように感じるのではないでしょうか。私もきらびやかな情報を目にすると、心がざわつく時があります。
北海道大学の川田学先生の著書「保育的発達論のはじまり」には、“子育ての脱臭”ということばが述べられています。生活の便利さ、核家族化や地域コミュニティの減少により、身近な人、周囲の先輩から見よう見まねで引き継がれてきた子育てが、育児書やテレビなど“脱臭”された情報から学ばざるをえなくなったことを書かれています。
私は、さらに“子育ての加工”へと進んでいると考えています。子育ての当然の大変だが消され、そこに大人の意図(映え?商業的?)が加えられ、“見栄えが良い子ども”“見栄えの良い子育て”など、現実からより離れた子ども像・子育て像が身近になっている。それは今の社会が“子どもは子どもでなくなっている”“子どもではない子どもへと向かわせている”ように感じるのです。
子どもを加工することが今の社会を生きていく術なのであれば、より「この社会を生きていく子どもを育てられるのか」と、子育てに不安になるのではないでしょうか。今の少子化はそんな不安からきているようにも思えます。
私は保育者ですが、今の保育や教育のあり方に問いを持ち、迷いながら保育をしている自分がいます。子どもたちの幸せを願って保育をするのですが、その“子どもにとっての幸せ”を問い続けています。
そして、今の日本はどこに向かっているのでしょう。“子どもの幸せ”を願っているのでしょうか。世界に合わせるために、世界人をつくるための子育て。それで良いのでしょうか。そもそも“子どもの幸せ”とは。それを探す旅を続けている私です。

川田学先生の『保育的発達論のはじまり』はコチラ🫱 📗


旅する保育者 地図屋のMy Wonder Journeyはコチラ🫱


本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️
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