
こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育や学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場にしたいと思い始めました。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
今回は、【 加工されていない世界へ? 】です。
🗺️【 加工されていない世界へ? 】
はじめに、
私は、今の社会、そしてこれからの社会を“加工された社会”と考えています。
これは、尊敬する川田学先生の書籍「保育的発達論のはじまり」に書かれていた“脱臭”ということばを受けて、今の私が社会に感じているのが“加工社会”です。
地域で子育てをしあっていた時代は、子育てをしている人が近くにいて、教えられなくても子育てを知ることができていました。しばらくして、社会の発展とともに、核家族化や少子化、地域コミュニティの希薄化により、“子育て”はみえないものになり、育児書やテレビなどで“子育て”を知るようになりました。そこにある“子育て”は、子育ての生臭さというか、子どもの全力と向き合う、予定どおりにいかないしんどさなどを消したものです。私もこの脱臭された子育ての中で生き、脱臭された中で子育てをしてきました。

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保育的発達論
しかし、今は、脱臭されたところに“付け加えた”つまり“加工”された子育てのように感じています。
情報と身近になり、どこでも子育ての情報、他人の子育ての姿をみられるようになりました。でも、大体目につくものは、子育ての匂いが消されている上に、色々なものが足されていて、きらびやかにみえる“加工された子育て”ではないでしょうか。
これをみると、なんだかざわつく私の心があります。
「うちの子にもこんな経験させてあげなきゃ」「自分もこんな子育てをしなきゃ」
それは、子育ての参考になるというよりも、プレッシャーになることがあります。子育てに不安がない人はいないと思います。そこに、自分とは全く関係ない人、環境も違う、子どもも自分も違う、本当かどうかもわからない子育ての情報に触れる、触れやすくなった現代は、子育ての不安を解消するのではなく、不安をかきた立てるものになっているのではないでしょうか。
そんな中に子どもも、そして親も生きています。焦りから自分や近しい人にも付け加えることに忙殺して、それが当然になる。そして、加工された世界が常識で、そこを生きる加工された人間=つくられたウソっぽい人間になってくるのではないでしょうか。私の天邪鬼な眼からみるとですが。

私もずっと自分を肯定するために加工し続けることを正しいと思い込み、生きてきましたが、「果たしてこれでいいのか、、、」 そして、保育に対しても「その社会で生きていくための子どもを育てる、それが保育なのか」「保育とは一体なんのためにあるのか、、」と考えるようになりました。
1、ほんものの子どもに会うために
保育をしていると様々な“ものさし”を持ち出すことがあります。そのものさしは自分が生まれてから培った価値観であったり、常識であったり、保育者になるための養成校で教えられたもの、発達過程、そして安全や保育者の責任だったりします。どれをとってもこの世界を行き始めた子どもにはとっては知らないもので、子どもに取ったら“大きなお世話”“ありがた迷惑”だったりするものかもしれません。
これは前章で書かせてもらった“この世界を生きていく方法”でもあるため、そのために子どもたちを測り、足りなかったり、型にはまっていない部分は、矯正していくことなのかもしれません。しかし、今の時代は、それが早い時から子どもに求められているように感じます。
生まれた時から、能力が測られ、物足りなければ加工されていく
まるでロボット工場のように“理想の子どもに仕上げていく”時代。 子どもを育てる、のではなく、社会のための子どもをつくっているような感覚といって良いのでしょうか。

人と人とがともに信頼し合い、助け合って生きていくために、社会化は必要なこともあると思います。しかし、それはそんなに早くなくても良いのではないでしょうか。早くから大人の“ものさし”で測り、大人の“型はめ”にはめ込まなくても良いのではないでしょうか。出なければ、子どもはいつ“子ども”を過ごし、子どもとなるのでしょうか。子どもに教えなくても、子どもの中から生まれてくるものもあるかもしれませんし。
こんなことを考えながら私の中に生まれてきたのが『ほんものの子どもに会いたい』です。何にも感化されずに、子どもが“子ども”のふるまいをしている姿、子どもをふるまっているところへ会いに行きたいと考えたのです。
自分が保育をしている中で“ほんものの子ども”に出会えたと思う時はだいたい子どもが“自然”の中にいる時でした。自然は柔軟に子どもを受け入れ、子どもも自然の中で本来の子どもになっているような姿がありました。
しかし、その子どもをみている私自身が、だいぶ社会化と価値観を持っています。このままの私では“ほんものの子ども”をみつけること、出会うことはできないのではないかと考えました。まずは、私自身を子どもと出会える“人間”に戻していくことが必要だと考えました。
どうすれば“人間”に戻れる?
そんな時に出会ったのが『狩猟』の世界です。
2、狩猟時代に戻って子どもを感じたい

私は自分自身が“自然”の中でどう振る舞って良いのかもわかりません。草花や木々、動物などの生き物にも興味を持たずに、日本の自然に関心を持つ必要がないと考え生きてきました。小さい頃に田んぼや川で遊んだ記憶はありますが、それも思い出せないほどになってしまいました。
自然の中の子どもに出会うには、まずは自分が自然を知ることが大切だと思いました。これまで保育の中で出会った子どもたち、そして我が子が自然の中での“夢中”になる姿を見て、私も自然の中にどっぷり入ろうと決めました。
そこで“どうしたら自然の中に入れるだろう?”と考えた時、過去に担任した“ある親子”のことを思い出したのです。

その親子は、お子さんもその家族もものすごく“自然”を感じる方で、草木などの自然、そして虫や動物などとの距離が近い感じがしていました。良い意味で社会化されすぎていない感覚がありました。担任していた当時に、そのお父さんがシカやイノシシをとっている話を聞きましたが、その時は特に関心を持っていませんでした。後になって狩猟だということに気づきました。
その親子さんとは卒園したこともあって疎遠になってしまっていたので、尋ねることができない状況でした。なので、まずはインターネットでそのお父さんがやっている“狩猟”について調べてみることにしたのです。
そこで知ったのが“東出昌大さん” その次が “服部文祥さん”そして“千松信也さん”でした。この方々の動画や書籍、映画などを拝見していきました。自然を知ろうとしていた自分が、どんどん狩猟の世界にハマっていくとともに、そこに、何か運命的なものを感じていました。
狩猟の世界について、はじめに知ったの俳優の東出さんなのですが、そこから服部さんに、そして千松さんに至るのですが、なんなんでしょう。どんどん自分のもとへと近づいてくるのです。これは勝手な運命とかではなく、実際にそうなっていったので驚いています。

ここではプライバシーもありますので、詳細は書けないのですが、この狩猟をやられている方々を辿っていった結果、なんと前述した親子までたどり着いたのです。これには心が躍りました。ものすごく興奮しました!
私の“加工していない世界”への旅は、今は“狩猟”という立て札の前に立っています。この道を進んでいった先に、本当の子どもに出会い、私は自分の目指す保育者になれるかもしれません。
次の 🗺️Wonder Journey へ
さあ、3回にわたって“加工されていない世界へ?”と綴らせていただきました。今回の記事の続きは、“その親子との再会”編で。
私の“保育者へなる旅” どうぞあたたかく見守っていただけたら幸いです。
とりあえず、今回の記事はここまで
では また👋

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本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️
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