
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2025年3月2日(日)道標日記No.497です。 ご来店ありがとうございます。
今回から🗺️My Wonder journeyコーナーをはじました。
こちらは旅する保育者としての私が、日々の保育、学びのなかで生まれた“不思議”“問い”をつづる場となります。常に問いとそれを探求する思いを持ち、保育者として成長し続けたいです。
もともと、このブログは海外から保育を発信することを目的に立ち上げました。立ち上げ時はニュージーランドで現地の保育を学ぶことを目標にしていましたが、そこから様々な出会いと経験をもらい、日本で海外の保育そして日本の保育を学ぶ、触れる機会をもらえるようになりました。ニュージーランドの保育を学ぶ夢は一旦保留し、今、置かれている場で学ばさせてもらっている保育に全力で向き合おうと考えました。
では、このブログはどうしていくのか?と考えました。夢の海外に行くまで何も発信しないままで良いのか?と自分に問いました。私は、今、たくさんの学びの機会をもらっているのに、それを残さないのは勿体無いと考えました。日本や海外、そして研修など、自分が学んだこと、生まれた問いをここに残すことで、流されず、保育と向かい続けることができるのではないかと考えました。
そう思ったら、もう行動するしかありません。うまくいくかどうかはやってみないとわかりません。これは自分のためであり、深める機会を持つことが、より善い保育をつくることにつながると信じております。
これまで耳勉強や旅日記を綴ってきたWorld Map 5の新しいスタートになります。あたたかくも守っていただければ幸いです😌🗺️
今後もWorld Map 5をよろしくお願いします。
さて
今回の道標日記は
🏖️ 旅日記 【 地図屋のハワイ旅日記 その19 】
🗺️My Wonder journey 【 ③勉強熱心はトップダウン? 】
を紹介させていただいております。
私の夢への旅が、皆さまのお役に立てれば幸いです。
夢への旅日記 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
🏖️ 旅日記 【 地図屋のハワイ旅日記 その20 】

このコーナーでは、ハワイ旅行に行った地図屋さんの旅日記を綴らせていただきます。この旅で地図屋さんが“えたモノ”が皆さまのお手伝いになれば幸いです。
旅の振り返り④ “多様性”“ちがってよい”だけではない
昨今、日本では“多様性”という言葉をよくみかけます。私も保育者をしているので、“多様性”というものを意識しながら保育をしています。しかし、私の使っている“多様性”の浅さを認識させてくれたのが、このハワイでの旅でした。
私を含めて、日本の中で使う多様性は“多様性”ではないような気がします。
人それぞれちがってよい 、といいますが、ちがいの幅が日本と海外では違うと思うのです。
日本は、日本人が多く、当たり前のように日本語が使われ、みんなが日本語を知っていることが当然であり、みんなが主食をご飯とし、味噌汁を飲んでいます。現代においては、その当然としていたものも少しずつ多様になり、“みんな一緒”が当然だったことが薄れてきているように思います。それでもまだまだ“みんな一緒”が根深いのではないでしょうか。
私は自分の性格もあってか、他人と比べてしまいます。そして他人からどう思われているかを気にする時があります。これは生きづらさもあるでしょうが、日本人の他者を思いやる、気配りなど国民性ともつながり、その文化により守られているところもあるでしょう。
ハワイで感じたのは、あまりにも自分と他者、他者と他者も違いすぎて、自分にベクトルが向かなかったのです。それは現実から離れた旅の最中だったからだとも思います。けれどそれだけではないと思います。
他者からのベクトルを自分に向けない時間は本当に楽でした。自分は自分でよいと感じられているのです。どんな髪型をしていても、どんな服装をしていても、自分と他者は違うのだから気にしなくて良いと心地よさを感じていました。
帰国する時まで、やっぱり海外はいいなあ、と思っていました。しかし、このブログに書き出したからこそ気づけたことがありました。上記で述べたように、海外の国を美化するのではなく、日本の文化の気づかないものに守られているところがあると思います。
まだ自身の国の文化についても他の国の文化についても知らないことが多すぎるのだと思います。自分の国を知ることがベースになって、他の国のことに気づけることができるのだと思います。これはこれからの私の人生、そして保育者としての課題になってくるでしょう。私は旅する保育者なのですから。

今回の記事に関連するものはコチラ🫱
キャリーケースをした道標はこちら紹🫱 道標日記 🪧No.471
🗺️My Wonder journey 【 ③勉強熱心はトップダウン? 】

勉強熱心はトップダウンか?
では最後のWonderです。
今回行った園の理事長先生は熱意を持った方で、子どもにも愛情あふれ、そして勉強熱心な方でした。その園長先生の熱意があるからこそ、この園の保育が生まれたのだと感じました。
そこには、他者が入る隙もないぐらいの“もの”がありました。なんと言ったら良いのか、うまく文にできませんが、ここでは思ったままに文章にします。残しておくことで後で文章化できると思いますので。
保育に勉強熱心な方がいるのは、保育の質の向上につながるので間違いなく良いことだと思います。けれど、私の経験からして、保育業務の中で勉強ができる人は限られてくると思います。毎日、保育をし、業務をするだけでも“人”も“時間”も足りないのです。時差勤務もありますし、子育て中の人もいますし、今回のWonder②の“+αが必要?”でも述べたように、残業していることも多いのではないでしょうか。その中で、今の保育の状況では、保育のための“勉強”ができる人は限られているのではないでしょうか。
勉強している人はその園の中で、その学びや実践を広げていくでしょう。他の保育者からも一目置かれるようになり、より自分の学びや実践に磨きがかかるようになるのではないでしょうか。
次第にその人のやり方が認められるように、そこに“正しさ”が生まれてきます。理論的な実践に、誰からも尊敬され、指示を仰がれるようになるでしょう。そのあとは、誰も物申せなくなるのではないでしょうか。ここに今回のWonderである“勉強熱心はトップダウン?”があるのです。
その人は、誰にも問われることがなくなり、自身の正しさが加速し、下手をすると“間違い”に気づくことがなくなるのではないでしょうか。すると、自身の心地よい保育をつくるだけに陥ってしまうかもしれません。ここには戻れなくなる危険もあります。それが園の文化として根強くなってしまうこともあるのではないでしょうか。
こうならないためにはどうすれば良いのでしょうか。職員間の心理的安全性による日々のディスカッション、学ぶものの謙虚さ、平等な学びの機会の構築、働き方の改善など浮かびます。
私は“余”が必要だと思います。詰め込みすぎない“余白”、子どもと保育者と保護者と相互に語り合える“余談”、追われることのない働きやすい生きやすい“余裕” が保育のなかにも、子どもの生活にも、大人の生活にも必要なのだと考えます。
これは保育の中の課題ではないのです。私たちの社会の課題だと思うのです。単純にそれらの“余”を増やしても本当の保育の質の向上にはつながらないでしょう。それでも今はあまりにも“余”がないのです。
この“余”が今後の私の研究の課題にもなってくるでしょう。引き続き、問い続けていきます。

はじめての🗺️My Wonder journey コーナーはいかがだったでしょうか?
これからも自分から生まれた保育の中のWonderをつづっていこうと思います。このように残すこと、自分の考えをアウトプットすることが今は大切だと考えています。これからこのコーナーがどのようになっていくか私にもわかりませんが、“より善い保育”のためになると信じて続けていきます。
これからも🗺️My Wonder journey をよろしくお願いします。

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