✏️Wisdom Log 【 東出昌大 × 関野吉晴・伊沢正名 後編 】

✏️今回のWisdom Log (知恵の記録)は、ReHacQ SPの【 東出昌大 × 関野吉晴・伊沢正名 】の対談を綴らせていただき、そして、保育者である私が保育の中でもつ、問い“Wonder”とつなげ、学びと最善の保育への旅を深めていきたいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

✏️Wisdom Log 【 東出昌大 × 関野吉晴・伊沢正名 】
・自然界における死体の役割

関野吉晴さん
野生動物に関してよく言うのが、生き物っていうのは、特に哺乳類ですけど、自分の死場所があって、そこでひっそりと隠れるように死んでいくから死体を見ないと言われてるんです。それは嘘で、それはみんなシデムシと糞虫とかのおかげで死体が転がっていないわけです。
この映画では、特に、シデムシと分虫に焦点を当てたかったのは、嫌われ者、鼻つまみ者の代表だからなんです。でも、彼らほど活躍している動物はいないのに、なんでそんなにって思うんです。それは人間社会でもそうですけど、評価の仕方が金持ってる奴が偉い奴で持ってない奴は駄目だとか、あるいは、エッセンシャルワーカーみたいに本当に必要な仕事をしている人が恵まれなかったり。そういう評価の仕方が間違ってるんじゃないかと思って。
シデムシとか糞虫とか、彼らがいてくれるおかげで転がっている死体がないわけです。だからいかにそういう虫たちが大事かということをですよね。例えばハエとかウジって親子ですけど、害虫の代表じゃないですか。でも、人間にとってはそうかもしれませんけど、ハエは花の受粉にならなくてはならないものなんですよ。ウジ虫なんてもっとすごいんですよ。この映画の中で出したけども、死体にはウジ虫だけじゃなくてなんと64種類の虫が集まってきたんですよ。この中で一番最強なのがウジ虫でした。なぜかというと、他の虫は確かに肉を食べるし、内臓も食べ尽くします。でも皮まで食べない。ウジ虫は皮まで全部食べて残るのは骨だけなんです。
僕はウジ虫のように生きたい。ようするに、野生動物のように生きたいと思っているので、そういう生き方をした時代があったんですね。それが石器時代です。人間が自然に合わせて生きていく。そういう生活をちょっとやってみようと思って。
グレートジャーニーを旅したけども、この旅は旧石器時代の旅なわけですよね。僕は旅をしながら旧石器時代の人に思いを馳せられるかなと思ったら、どこ行ってもみんな敵機使っているし、もう旧石器時代人がいないんですよ。50年前まではニューギニアにいたんですよ。鉄器を知らない、石器だけで生活している人が。でも、一旦鉄を知ったら戻れないんですよ。だから世界中にいなくなっちゃったんですよ。だから、グレートジャーニーをやった旧石器時代に思いをはせるということができなかったので、自分でタイムスリップをするしかないなと。それで旧石器時代の生活をしているわけなんですよ。

伊沢正名さん
映画の最後に、“虫がうんこと死体どっちにくるか”というシーンがありましたよね。どうなったと思います?
圧倒的に死体だったんですよ。去年、私の友人が実験したんですけど、片方にはうんこを地面に置いて、片方にはネズミの死骸を置いて4日後に見たんですよ。うんこは4日後でも形が残っていたんですけど、ところがネズミの死体は、残っていたのが頭蓋骨と骨がちょこっと毛だけだったんですよ。たった4日で全部食い尽くされるんですよ。うんこも素晴らしいのですが、自然界では一番のごちそうは実は死体なんですよ、肉の塊ですからね。
野山を歩いていたって、当然、獣だって野山の中で亡くなっていますよね。鹿でも熊でも猪でも。でも、ほとんどした意味ないですよね。1年も経たずに数ヶ月でほとんど食われちゃうんですよね。だから山を歩いていたって骨は見当たるけれど、死体とか見当たらないんです。それぐらい自然界においては死体ぐらい素晴らしいものはないんです。

関野吉晴さん
希少価値ですよね。ウンコはネズミもオオカミも毎日しているわけですよね。だからウンコだらけなんですよ。糞虫あるいは糞を食べる虫が食べてくれるわけですよ。でも死体にはめったに出会わないんですよ。僕たちにとっては死体を山で見ると、ちょっと臭いし、ちょっとのけぞっちゃうようなものだけど、他の生き物にとっては輝ける饗宴の場なんですよね。

東出昌大さん
私はもう狩猟を始めた頃から自分が死ぬ時は土葬だなと。土葬というか野垂れ死かわからないですけど、もし病床に臥した場合は、ちょっと法律違反になるかもしれないけれど、家族で山の上に置いてきてくれ、遺
棄してくれって言ってます。私も、身体は微生物動物に食べてもらいたいと思います。
・冒険の目的は「到達」ではない

東出昌大さん
これまでの話もですが、どうやってこれを人々に伝えていくかって考えるんです。
例えば、私は以前はただの東京に住んでいた役者だったんですけれども、すでに世間から“東出はワイルドで野蛮で”と思われているんです。
大谷翔平って年俸が公開されるたびに世間は騒ぐんだけど、大谷翔平やイチローって年俸の額のために野球をやっているとはもちろん思わないんです。なぜなのかって、その積み重ねてって極限まで行った先に見える景色ってどんなんだろうという、知の探究心だと思うんです。その知らない地平に立ったもの知りたいという欲求だと思うんです。これは非常に自己充足的だと思うんです。
私も服部文祥さんと親交を得て、いろいろな登山家の方々、冒険家の方々とお会いして、皆さん、エベレストに登ったってことを言いたくて登っているわけではないんです。重い荷物を背負ってベースキャンプから一歩一歩歩みを進め、自分の身体を最後持ち上げた時にそこで初めて見える景色の感動だったり発見を得たいということだと思うんです。
ともすると、今、エベレストってヘリコプターで行ける時代になっていて、富豪が莫大なお金を払ってヘリコプターで登場まで送ってもらってそこにポンと降り立ったら、登山家が見た頂上と同じ景色ではあると思うんですけど、ストーリー性とか哲学が全く違うものになると思うんです。
私はヘリコプターでいく人間ではなく、歩を自分で進めていってみた地平がいいんです。ただ、エベレストに登った共通項だけがもてはやされる世の中になっていると思うんです。だからSNSの承認欲求とか港区女子というのは、寿司屋の職人の仕事がわかっているというのではなく、みんなが予約の取れない寿司屋に入ることができたということを宣伝したい、承認されたいという若者が多いと思うんです。
自己充足感に向かえば、人からダサいとか言われることに関係なく、自分の人生の幸せを希求することができると思うんですけれども、この方向に持っていくには、若者に何を大事にしてもらったら、みんなそこに向かってくれるのでしょうか。

関野吉晴さん
角幡唯介とよく言ってるんですけど、到達主義の冒険はもういいかなって。要するに、北極点に行くとか8,000メートルの山に登るとか。もうみんな行っちゃっているじゃないですか。達成感って着いたら終わりなんですよ。途中で何かあっても行かないんですよ、道草しないんですよね。到達が目的だから。
でも、僕なんかは到達主義はもういいんじゃない?って思うんです。寄り道したかったらすればいいと思うんです。グレートジャーニーの旅だって道草ばっかりだったんです。
道草が大事で、僕はなんのためにそういうことをやっているかというと「気づき」なんですよね。今までわからなかったことがわかったり。それは世界的発見とかじゃなくて自分にとっての発見なんですよ。一番大きな気づきは、目から鱗が落ちるという気づきなんです。そんなのめったにないけど、小さい気づきがあってそれによって自分が高められたという感じがする。成長したって。もうこの歳になってもまだ成長したいという思いがあって。
だから別に達成感はもうどうでもよくなっている。旅とか探検とか冒険とか、僕は全て気づきだと思っていて。生きることもそうですよね。今まで気づけなかったことに気づけた時って嬉しいですよね。それが僕は一番大きいと思っているんです。

東出昌大さん
気づきの面白さ。
自分の中での気づきの面白さを見つけられる若者が増えたら、環境を破壊しながらでも承認されたいということとは違う方向に行けるということですよね。

関野吉晴さん
承認欲求というのは誰にでもあるものですけど、そこももうほどほどにしていいんじゃないかと感じですね。
・体験し発見する

伊沢正名さん
私は野糞に夢中になって、糞土師として色々言っているけど、本当にうんこのすごさを発見したのは野糞の掘り返しをやったことなんですよ。それまでは、うんこすればバクテリアが分解してだんだん匂いも消えていって、姿も土みたいになってくると思っていたのが、実際にやってみたら全然違ったわけですよ。そこにはいろんな虫や生き物が現れるし、匂いもどんどん変わるわけです。
とにかくね、やってみればこんなつまらないものと思ったものにものすごい発見があるわけです。
今まで人生の中で一番感動したのは、自分の野糞跡を掘り返して、その様子を見た時です。それまで自分のうんこって臭くて汚いカスだと思っていたけれど、それが自然の中でこんなすごい働きをしているんだ。いろんな生き物が集まって大饗宴を繰り広げて、最後は、土を豊かにすれば今度は木の芽が出てくるんですよ。芽生えがあったりキノコが生えたり。動物、植物、菌類、全部が集まってきて、私のウンコをもとにして大饗宴するわけです。そこでは命の循環も全部見えるわけです。
こんなすごいことがあったんだって。
それをやったからこそ糞土師になれたし、映画にも出てくる菌学者の出川洋介さんにも出会えて、「動物のウンコを研究する研究者はいるけど、人間のうんこをやった人は誰もいない」って言うんですよ。
なんで自分のことをもっと見ないんだろうって。結局、人間って自然より優れている。特に西洋的な考えでは、自然から離れれば離れるほど進歩だと考える。自然を低く見てるんですよ。私はそうでなくて、人間も自然の中の一部なんだから、自分も自然の中に入り込む。そして、自然を自分と同じレベルで見ていくと、こんな凄いものが見えてきたんですよ。ただ単に、自分を自然の中に落とし込んだだけでです。人間は偉いんだという目線を一切なくしただけで凄い発見をしたんです。
だからね、ちょっと視点を変えるだけで喜びはいくらでもあるんですよね。
私は毎回葉っぱでおしりを拭いています。紙は一切使いません。冬場は枯れ葉しかないんですよ。雨が降ると葉っぱは濡れるでしょ。みんな枯れ葉というと乾いた状態でした考えないんですけど、雨が降れば濡れて、朝露で湿っていれば葉っぱは水分があって柔らかいんですよ。むしろ私は冬の枯葉の方が夏の青々とした葉っぱよりよっぽど気持ちがいいという葉っぱをいっぱい知っているんです。
だから枯れ葉一枚でその人の常識をひっくり返せるんです。当然、生物なんかで葉っぱのことや植物のことは勉強していますよね。その常識が完全に間違っているというのを葉っぱ一枚で証明できるんですよ。これが良いんだ正しいんだという人間社会の常識とか良識、それらがいかに知らないか知ったつもりなんですよね。それは目で見て頭で考えるだけだから。触ればわかるんですよ、質感なんか。それを一切やらないことが現代人の一番の欠点だと思うんです。
自分の感触で感覚でものを見る。頭で考えるんじゃない。目で見るんじゃない。どうやったら若い人に考え方や生き方を変えさせられるか。言葉では難しいです。ぜひプープランドにきてください。
プープランドは完璧に資材を廃しているんですよ。まずね、お金を使わない。それと、資材を持ち込まない。そして、エネルギーも使わない。最後に、ゴミを出さない。これを完璧にやっているのがプープランドなんです。この前も人が入ってきましたけど、そこに入ると本当に雰囲気が良くて、1回入ったら出ていきたくないという人がいっぱいいるんですよ。そのくらい気持ちいい林になっているんですよ。森の中にいろんな遊具なんかもあるんですけど、それも全部そこにあった枯れ木で作っているし、階段やベッドまであるんです。それもそこにあった枯れ木を2本並べただけで、それで寝てみたらこんなに気持ちいいいのかって、体験すればすぐわかるんですよ。

関野吉晴さん
僕は葉っぱの他に色々やっていて、一番得意なのは雪なんです。パタゴニアではちょっとザラメ状でちょっと痛いけど、キュってしまって気持ちいいんですよ。拭いていってだんだん汚れがなくなってきたら完成なんです。シベリアやアラスカでも粉雪では固まらないのでダメなんですけど、ちょっと湿らすといいんですよ。
・インフラに依存する人命

東出昌大さん
現代人はインフラがあって生きられる状態だと思うんですけど。
2016年に熊本地震があった時に、実際に揺れで被災して亡くなった方よりも、避難所生活で排泄ができないとか、水分補給ができないからエコノミー症候群になったりとか、精神的な負担でお亡くなりになった方が多かったというお話を聞いたんです。

伊沢正名さん
震災で亡くなった方は50人くらいで、関連死で亡くなった方は200人以上いて、はるかに体調を崩してトイレが使えないなどの方がよっぽどひどいんですね。野糞ができればそれもないんだよ。プープランドは野糞ができるということなんだけど、それは単に食べて奪った命を自然に生かす以上に、それがあれば災害時だって安心して生きていける、紙も何もいらないんだってことなんです。
熊本地震後に、携帯トイレを備蓄しろと言われましたけど、あれは結局燃やすゴミにしてるんですよね。でも、熊本地震ではゴミ焼却場も被災しちゃって燃やすこともできなかったんですよ。だから道端に携帯トイレも含めてゴミも山積みになってとんでもないことになったんです。
だから今、日本トイレ研究所とか一生懸命トイレ問題とかやっているけど、まだまだ資本主義の世の中で考えている。それを一回やめてみて、自然を中心に考えたら、これこそ本当に持続可能な社会になるんだよと知らせたい。考え方の基本を自然を基準に考えたらどうなんだろうって。先住民はそれをやってきたので、まずは先住民に倣ったら良いと思うんです。そこには喜びもあると思うんです。我慢して物のない生活をするんじゃなくて、もっと気持ちいいものがあるんです。

関野吉晴さん
僕も阪神・淡路大震災の時と東日本大震災の時と、避難所へ行ってドクターをやっていたんですけども、やっぱり一番困っているのはうんこですね。流せないんですよ。本当に都市生活って脆弱なんだなって。特に管と線だらけですから、下水道管、ガス管、電線、電話線。それが一本でも切れたらパニックになっちゃう。先住民は一切、管も栓もないんです。本当に自立してるんですよね。
だから前もって、“自分たちは管と栓でがんじがらめになっているんだ”と。
最後の死ぬ時に、人工呼吸器とか点滴とか排泄支援機器とか全部、管と栓でやっているのを「スパゲッティ症候群」と言って、最後はあんなふうに死にたくないってみんな言うんですけど、自分の家がスパゲッティ症候群ですから。
だから、それをもうちょっと考えて、これがなくなったらどうしたら良いかということを考えながら対策を考え方が良いと思いますね。

東出昌大さん
以前、ReHacQに出ていた 地震災害の専門家 鎌田浩毅さんが、その方の本の中でも地震を震災にするのは人間だと言っていて。
私も山の中で野営していて、もし今地震が起きてもなんにもないな、って思うんです。ただ天幕が揺れるだけで、倒れてくるものもなければ、水は変わらず川は流れるし、火も起こせるし。だから確かに震災の備えということで言うと、外で排泄すると言う方法を持っていると、一個生きる術というのは身につくということですね。
・「死」の力とは?

伊沢正名さん
あと、うんこはそれでいいんだけど、私も今、死ぬことをガンガン話すようになってきて野糞よりも土葬のほうが遥かに反響が高いんですよ。それは、うんこよりも死の方がよっぽど関心が高くて、今は死をいかに素晴らしいものにするかやっているんです。幸せな死ということで。
そこで気がついたんですけど、“死には力がある”ということなんですね。
東出さんも狩猟やったりして、死には向き合っていますよね。死の力って考えたことありますか?生きている時はなんでもできる、死んだら何もできないと思うでしょ?死んだらおしまいだって。
私はそうじゃなくて、死んだ時こそ生きている時の言動の何倍何十倍の力を発揮すると考えているんです。
皆さんもその現場を見てるんですよ。3年前に坂本龍一さんが亡くなったでしょ。あの時、最後に東京都知事に時宮の森の伐採をやめてほしいと手紙を出したんですよ。それまでも、ICOMS(国際記念物遺跡会議)とかみんなが反対していた。でも伐採計画はどんどん進んでいた。国連機関までが反対したって伐採を止められなかった。それが、坂本さんが死ぬ直前に手紙を書いて亡くなったあの後、大勢の人が「坂本さんの遺志を継がなくて」はということで反対運動が盛り上がって、伐採計画がとまりましたよね。あれは坂本さんが元気な時に手紙を書いたって、「良識人がまともなこと言ってるよ」ぐらいで何の反応もなかったと思います。ところが、はっきり言いますけど、亡くなったおかげで坂本さんの思いを何とかしたいと反対運動が盛り上がって計画が止まったんですよ。あれが死の力だと思うんですよ。つまり、死というのはみんなマイナスだと考えているかもしれないけど、ちゃんと生きてきた時の主張と同じ形で亡くなったら、あの人の考えていたこと言っていることは、本当に命をかけた、本当に一番大事にしたいことなんだとみんなに伝わるわけです。世の中全体がわっと動いちゃうんですよ。死の力にはそういう力があると思うんです。
私は死の力というのを見つけちゃったから、今は死ぬのが楽しみなんですよ。私は絶対土葬だと言っていますよね。でも、土葬というのは、違法じゃないけども墓地以外に埋めたら死体遺棄なんですよ。当然、わかれば回収されて絶対火葬されるんですよ。それを絶対にそうさせないために、、私は『ウンコになって考える』という本の最後に遺書を書いたんです。どんな遺書だと思います?
プープランドは、最初、墓地の認定をしてもらおうと思ったんですよ。そうするとそこでちゃんと土葬ができるわけです。今は条例でも土葬の墓地を認めるのもこういうふうに埋めるというのも全部条例なんですよ。その条例を読んだらとんでもないことが書いてあるんです。
1つは、不衛生なものだから人家から100メートル以上離れろとか、水源地から200メートル以上離れろとかね。もう一つ、これは決定的にだめというのが2メートル以上深く埋めろというんですよ。そんなに深く埋めたら酸欠になるし、分解菌がいないので、まともに腐らないんです。そうなるとアンモニアを発生させてかえって汚くなるんです。でも、浅く埋めればそれはちゃんと分解菌もいるし、獣にも虫にも食われる。短時間でちゃんと土に還って新しい命になるんですよ。
だから私は条例で墓地認定をやめたんです。こんな条例に従って合法的に土葬できるようにしたってしょうがないと。土葬墓地の認定をやめて、不法に横穴墓を掘ってそこで死んじまうんだ。それがもし分かれば当然死体遺棄だから回収されて火葬されます。それを防ぐために遺書を書いたんです。
その内容は、私はとにかく自然の摂理に従って土に帰るのが夢なんだと。だから、これは埋まってからのことですけど、遺書に“もし私の遺体をプープランドの地から移したり火葬などしようものなら、それに関係したものを全て呪い殺します”っていう遺書を書いたんです。
呪いとか祟りって西洋科学ではないって言いますよね。でも実際、ピラミッドのような王家の墓も、そこを暴いて金銀財宝を取った人間が不審死したとか、江戸の町でも謂れのあるような墓を開発でつぶして、それに関連した人が不審死したことがあるわけですよ。だから、呪いとか祟りをないとは言えないですよね。それを活用して俺を火葬したら呪い殺してやるという遺書を書いて絶対にやらせない。そんなことをやっているんですよ。それは私個人の企てだからみんなには広がらないけど。
とにかく人間社会のおかしさをちゃんとわかってもらわないといけない。いかに火葬するために大量な灯油を燃やして環境破壊をしているか。そういうことを全部明らかにしてこうすればちゃんと土葬できるんだというのを合法的にガンガン進めようとしているんです。
合法的といっても、法律での規制って本当に少ないんですよ。ほとんどが条例であって、市町村議会で可決すれば簡単に墓地の認定も土葬もできるようになるんですよ。それをいま全国に広めようと思っている。なので、今はうんこから死体の方に活躍の場が変わっていって、これこそ絶対に持続可能な社会を作る一番手っ取り早い最も効果的な方法。それを今やっています。
・人間は自然の一部である。

東出昌大さん
自然保護とかリベラルな話、こういう風が未来のためにはという話って、ともすると常識派の人から、「それは行き過ぎだ」「過激だ」と、やっぱり石を投げられたりすると思うんです。何かハレーションを起こすように。それくらい私たちって原理主義的なことを言うと、それってそぐわないって、アレルギー反応を起こされることも多いと思う。
ただ、もういい加減、私たちも臭いものに蓋をするということをやっていたら、いよいよぐずぐずにダメになる時代がもう始まるように思っておりますし、やはり私の好きな、養老孟司さんであり、宮台真司さんであり、斎藤幸平さんも思想家の方も歴史家の方も、これからの日本という、この国のことだけを考えても、きつい時代になるという人ばかりで、明るい時代がこれから来るという学者さんはいないんですよね。人口も減少するし、建物の負債とか、いろいろなツケが今後の私たちの世代、子の世代、孫の世代に来るので、それをサバイブするためには、地力とか自然の摂理とかみたいなことを分かっていないと、またズブズブと悪い方向に進んで沼から抜けられなくなるんじゃないじゃかな、と私も漠然と考えているので、今後も考え続けながら勉強し続けながら、大先輩のお話に耳を傾けて、参考にしていきたいと思います。
私たち次の世代が、今後、地球環境、自然との共生を考えた時に、一言でこれを目標にしなさい、これをしなさいということがありましたら、お一人ずつお聞かせいただきたいです。

関野吉晴さん
レイチェル・カーソンという『沈黙の晴』を書いた人が、地球は人間のためにだけにあるのではないとか、あるいは生き物で必要ない生き物なんかいないというのは自然の世界では当たり前なわけですよね。欧米人では珍しく人間中心主義じゃない考え方を言ったわけですけれども、それを私たちもちゃんと他の生き物のことも考えながら、自然と調和するというか、「人間の時間」「自然の時間」があるけども、「自然の時間」に合わせる暮らし、あるいは持続可能というのは一言で言っちゃえば「人間の都合ではなく、自然の都合で生きていこうぜ」ということなんですよ。人間の都合でいろいろ変えてきちゃったので、もうちょっと自然の都合に合わせて生きていかなきゃいけないなと思ってます。

伊沢正名さん
私は一番大事なのが自然の摂理。自然の摂理ってみんなわかりますよね。でも、具体的に摂理とは何だと言われたら、私はやっぱり循環だと思うんですよ。ウンコも食べ物もちゃんと循環するし、命だって循環するんです。その循環に自分が乗ること。自然から離れて自然を俯瞰する。人間が上から目線で見るんじゃなくて、自分自身が自然の中に入る。
ということは実践ですよね。どうやったら自然の中の循環に入れるか。それが結局、野糞と土葬なんだよと。それを実現すればいいんだ、と。確かに、今のところ土葬にはいろいろ制約が多いけど、野糞なんてちょっと山に行けばできるんですよね。でも、もし都会にいたらできないと言うなら、時々山に行った時でもいいし、あとは移住しちゃえばいいじゃないかって。なにも込み合っている都会にいないで、地方に移住すれば林でもなんでもあるし。そうすれば過密とか過疎も解消する。そこにこんな喜びがあるし、安全もあるんだというのがわかれば、今度移住するんだったら便利な都会に行くんじゃなくて、ちょっと田舎に行ってみようという風に考え直すことができちゃんですよね。今すぐじゃなくて何十年もかかるかもしれないけど、自分の子どもとか孫とかの世代を考えて、いい環境を残そうと、まず、今良ければいいじゃなくて、将来のためにという考えを持って、そこで、自然といかに一体化して、自然の摂理の中で循環の中で生きるか。ちょっと思考を変えれば、そこに喜びも見いだせるし、変化が生まれるのではないかと思います。

東出昌大さん
一つには、今の都会の若者がすぐにできるのは、急に野糞はできないかもしれないけど、食べ過ぎとかフードロスをなくすということですかね。

関野吉晴さん
等身大という言葉があるんですけど、まさに等身大で自分の身の回りでなにをやるかというのをまずやってから、さらに広げていくということですね。

東出昌大さん
私も野営とかするんですけど、狩猟採集と釣りとかしながら。それで、生ごみを捨てると分解されるというのはわかるんですけれども、最後に排泄をしたときに、「あ 循環の中にある」という喜びを非常に感じたことがあったのが外で排泄する喜び、気づきでしたね。今後もしていきたいと思います。
今回は、 関野吉晴さん 伊沢正名さん ありがとうございました。


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