
いらっしゃいませ 地図屋でございます。
本日は2026年1月24日(土)道標日記No.541です。 ご来店ありがとうございます。
今日はゆったりとして気持ちでこの日記を綴っている私です。
今週は久しぶりに“なにもない”1週間でした。というのも、先週が猟友会への入会、森のようちえんの初視察と、自分の人生の旅のイベントがあったからだと思います。なので、特に動くことも、次の🪧が見えているわけでもないのでまどろんでいるような1週間でした。
今週は全く予定のない休みが久しぶりにありました。どこかの保育の見学に行こうかなとも思いましたが、寒波も来たことにより家に閉じこもってゴールデンカムイを観たりしていました。“いつもとちがう”ことが苦手なのでしょう、つい、いつもの習慣も乱れがちになったり、しかし、習慣のおかげでなんとか行動には移せたりする自分に改めて気付いたりします。休みも欲しいですが、私は“毎日が一緒”の方が楽に感じるのです。
取り止めもない話が続きそうなので、先週の森のようちえんの視察について綴っておこうと思います。
今年、私は自然の中での子どものふるまいをみてみたいと思い、行動していた一年でした。狩猟免許の取得も、猟友会への加入もその目的があったからです。なので、子どもたちが自然の中ですごす“森のようちえん”にも興味がありました。
これも偶然という必然なのでしょう。たまたま近くに森のようちえんがあったので視察の申し込みをしました。色々調べて先入観を持って臨むより、“今の自分”がどう感じるのかを知りたかったので、私そのもので視察にいきました。
初めてみる森のようちえんに学びもありましたが、ここでは印象に残ったことを3つ上げさせていただきます。
1つ目は、“時間”がないということでした。これはこのようちえんの特徴もあると思いますが、大人は極力、口出しや働きかけをせず、子どもの主体性を尊重していました。今日の活動を決めるのも子どもたち。遊ぶブームも、昼のお弁当を食べるタイミングも子どもたちが決める。大人は「〜して」「〜しなさい」とは言わず、次に向かうときは行動で示していました(例えば、場所を移動するときは、大人はリュックを担いだりして、子どもにふるまいを感じさせる)。そこには私がこれまでの保育の中においていた“時間”が感じられませんでした。
2つ目は、“承諾”がない、です。確かに子どもは自然の中で自分らしく過ごしていたことです。崖があったら登るし、登れそうな木があったら登るし、大人に「〜していい?」と、私がこれまで持ち合わせてきた“承諾”の様子はありませんでした。ただ、万が一のことがあった時のために、大人は邪魔にならないようにすぐそばにいるようにしていました。ある意味、この子どもとの距離感は私の理想でもありました。
3つ目は、私の知っている保育の楽しさはあまり感じられなかったことです。見守り保育、または子どもの自主性を育てるためもあってでしょう、大人に“評価”がなかったように感じました。この評価とは「〜できてすごいねぇ」などの“言葉”や、子どものふるまいに対して笑顔や顰めっ面などの“表情”がなかったようにみえました。これも私が目指すところではあったのですが、どこか“おもしろさ”や“楽しさ”がありませんでした。それは子どもと大人は別のように境界があるようで、それが子どもの世界を邪魔しないことでもあるのですが、“一緒が楽しい”を経験してきた保育者でもあるので、どこかメリハリがないというかつまらなさを感じたのが正直な思いです。
以上が印象に残ったことです。
視察した森のようちえんは、ある意味では“私の理想”の先にあった保育でした。しかし、それに対して自分の中に“憧れ”や“ときめき”、“衝動”があまり生まれなかったのも感じ、現実を突きつけられたような感覚があります。それは、私の中で燃えていた焚き火が、熾火になったような感覚です。
今回の森のようちえんの視察は本当に行けてよかったと思います。でもここで保育をしたいとは思いませんでした。失礼を言っているような書き方になってしまいますが、どこの保育をみても今の私はそう思うのです。
それは自分の中に“保育とは一体なんなんだろう”という問いが自分の中にあるからです。若い時のように確固たる“理想の保育”が自分の中になくなったのもあるのだと思います。そこに向かってがむしゃらになっていた頃とは、ちがう保育者になっているのだと思います。
ただ、ここまで色々な保育をみて、一つ自分の中でおちているのは、
“保育”は、そこに望まれたものである
ということです。
人、環境、地域、文化、風土、時代、思想、価値観、保育観 それらが混ざりあい、重なりあい、そこの“保育”になる。人が変われば保育も変わり、時代が変われば保育も変わり、場所が違えば保育も違う。流動性もあれば、その中で変わらない普遍性が積み重なっていく。理想の保育なんてものはなく、そこに望まれたものが保育になる。そう思えるようになりました。
この歳になったからそう思えたのか、この歳だから思えているのか。これからどのように変わっていくのか。私の中の保育がこれからどうなっていくのか楽しみなところもあります。この私の保育の旅を続けていこうと思います。
書き出したら長い文章になってしまいました。そしていい具合に頭もクリアになり、程よい疲れも出てきました。
いつもながら自分勝手な日記ですが、、ここまで一旦締めさせていただきます。また別の機会でより深掘りしていきたいと思います。
さてさてさてさて 😅
今回の道標日記は
🐗狩猟の道 【 猪の解体に立ち会う 】 その⑤ 猪の解体
👂今週のおすすめ耳勉強・動画集
紹介させていただいております。
私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。
夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌
🐗狩猟の道 【 猪の解体に立ち会う 】 その⑤ 猪の解体

その⑤ 肉を取る

いよいよ肉を取る作業です。ここは師匠もこの場に集まった人全員が夢中になって同時進行だったので、初めての私には何がなんだかわかりませんでした。
師匠は猪のあばらにナイフを入れ、そして一本ずつ肋骨を取っていきます。その作業は美しいと思うほど綺麗で、骨は飼い犬のおやつにすると言っていました。
師匠は肋の肉を剥がしながら、足の肉を剥がす指導も私たちにしてくれました。猪の身体に色々な角度から手やナイフが入ります。皆が夢中になっている間、私はその様子を見ているだけでした(これ以上猪に向けるナイフの数を加えるのも怖かったのもあります。)
猪の肉を削ぎ取りながら、どこか身体の構造がイメージできてくるのを感じました。猪も人間と同じ哺乳類であり基本構造は一緒なので(多分)、人間もこのようになっているのか、とか考えました。そんな私が人間なのですが、そんな私の構造をあまりに私は知っていないのだなぁ、なんて。座学だけでは得られないものが、“生活(生きるための活動)”“自力”の中にはあるな、と改めてこの機会を頂けたことに感謝しました。

肉を削ぎ取っていくと、脊椎と後ろ足の骨がついたものが取り出されました。この骨がたくさんの肉をつけ、猪の身体を支えている。猪という形をつくっている。そのように思え、見ても考えても迫力のあるものでした。
骨が剥がれた肉は、もう力のないダルンダルン、ベロンベロンと言った感じの“肉のかたまり”にみえるようになりました。

ここからは師匠が最後の仕上げにかかっていきました。肉を部位ごとに切り分けていくのです。しかし、その前に師匠でもちょっと苦戦している部分がありました。それが肩甲骨です。
肩甲骨は他の骨と違い、凹凸があったり、肉のつき方も他の部位と違ったように感じました。師匠もここは時間がかかるといっていました。もう若いものたちは解体に気持ちが向いていなかったので、私が肩甲骨を剥がす作業をさせてもらいました。
ここまであまり作業に入っていなかったので、はじめて自分に任された感じがしてわくわくしました。知らないからこそ変な自信がありましたが、それはすぐになくなりました。これまで皆が手際よくやっていたのを見ていたのからでしょうか、この肩甲骨にはより手こずった感がありました。肉を綺麗に剥ぎ取るなんてことはできず、ただただ肉を削ってほじくって骨を取り出せるようにするので精一杯でした。
やっと肩甲骨を取り出せると、それは他の骨とは違う形をしていました。持ち手があってそこからちょっと扇状に開いた形。「それがよく“羽子板”と呼ばれるやつです」と師匠に言われてピンときました。
「これが羽子板!」 聞いたことがある! それは散々見てきた狩猟の動画で時々出てきたワードでした。
やはり“なま”の感覚は違います。テキストや動画で知った“羽子板”より、この機会、人たち、匂い、天気、自分が取り出した、そして師匠に与えられた“羽子板”というワードは何よりも私の人生の記憶に残る“羽子板”となりました。

肩甲骨が取れると、もうほんとに肉だけです。ここからは部位ごとに切り分けていきます。師匠の邪魔にならないように見ていていましたが帰る時間となりました。
本当に1日仕事でした。解体中の師匠の話の中に、解体に取り掛かるまでに時間がかかるというエピソードを話してくれました。確かに。やり始めたら途中で終わることも明日に回すこともできないので、ふん!と気張らないと取りかかれないと思いました。
師匠たちは解体して猪の肉をパックにして私にくれました。もうこの状態で見るとスーパーで並んでいるよく見るお肉です。
ただ、師匠たちは残念がっていました。
「ほんとははじめて猪の肉を食べるときは、もっと美味しい肉を食べてほしかったのに。これは発情期のオスの猪だから“臭い”の。」
それもはじめて知りました。しかし、いつもだったら逃すこともある猪を、私が“解体に立ち会いたい”ということを覚えていてくれて、日程も考慮して今回に至ったことを思うと、その心遣いの言葉も、全て感謝でしかありませんでした。
なので、どれだけ臭くても、解体に携わってこの猪の肉を絶対に食べきろう!と思いました。

次回はNo.542🐗猪の解体 最終回になります。はじめての解体を振り返ります。


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本日もご来店ありがとうございました。
毎日が皆様にとって素敵な日になりますように
それでは
Have a nice dream day.🎫✈️



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