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No.441 8月5日(月) 👂学び直し 世界史①-8

地図屋
地図屋

いらっしゃいませ 地図屋でございます。

本日は2024年8月5日(月)道標日記No.441です。 ご来店ありがとうございます。

 梅雨が明け、本格的な夏になりましたね。ジメジメがなくなり、過ごしやすくなったようにも感じますが、暑さには気をつけなければならないですね😅

 先週はスクーリング、試験、レポートの提出と怒涛の一週間がったのですが、そこに家族のコロナにより、家事、弁当などのご飯の段取りが入り、ストレスフルな一週間だった地図屋です💦そのせいもあってか胃を痛めてしまいました。

原因は、ストレスからくる習慣の乱れ暴飲暴食だったのではないかと思います。ストレスが溜まったことで、つい食べすぎたり、冷たい飲み物をガバガバ飲み過ぎ、胃に負担をかけてしまいました。体が不調になると、機嫌もパフォーマンスも悪くなり、悪循環へ。まだまだ自己コントロール力が浅いと痛感しました。この経験を次へ活かしていきます💪😤

さて

今回の道標日記は

🪧道標 【 当たり前に感謝 】

👂耳勉強 【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

を紹介させていただいております。

私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。

夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌

🪧道標 【 当たり前に感謝 】

今日の道標
今日の道標

🪧当たり前に感謝

非日常あると、いつものことができなくなる。

当たり前にやっていたこと、当たり前にあるものに感謝しよう。

それに気づけるのも非日常があるからであるけれど。

地図屋

Mapさん
Mapさん

Today’s English Diary🇳🇿

“Let’s be grateful for the things we take for granted.”

「当たり前だと思っていることに感謝しましょう。」

👂耳勉強 【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

地図屋
地図屋

👂今日の耳勉強は

中田敦彦さんのYoutube大学より【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

・ゲルマン民族大移動

 キリスト教に主導権を奪われたローマ帝国。ここからはキリスト教の時代がやってくるのである。それは諸国の皇帝よりも、ローマ教皇が最も発言力がある時代になった。

 2つの国に分かれたローマ帝国。東ローマ帝国はビザンツ帝国になった。西ローマ帝国はその後にゲルマン民族大移動がおこったことにより、その混乱により西ローマ帝国は滅びた。ビザンツ帝国はゲルマン民族大移動から離れていたことで、直撃を受けずにすみ、約1000年存続することができた。(江戸時代は300年💦)

 西ローマ帝国は滅び、ゲルマン民族がその辺りに国をつくった。イタリアの上の非常に豊かな国土地帯にフランク王国をつくった。

ここに後の国の種が含まれている。

ゲルマンといえばジャーマン=ドイツ。 フランクはフランス。 このフランク王国は後のドイツとフランスを含んだ国なのである。

その後となるヨーロッパの大国のリーダーとして名高いのが、カール大帝である。

・トランプのキング

カール大帝はすごい。

 カール大帝は“大きい帝” アレクサンドロス大王は“大きい王”。王と大王は世界史上、格が違う。そして、大帝と皇帝も大帝の方がえらい。アレクサンドロス大王はとてつもなく大きな領地を得たから大王なのである。 カール大帝はその後のフランスとドイツの元となる国の大帝なのである。

知名度で言うとナポレオンやカエサルに劣るのではないかと思われるが侮ってはいけない。

カール大帝はトランプのキングのモデルなのである。(カール大帝だけが全キングではない)トランプのキングには4大英雄が」モデルになっており、他にも

ダビデ  カエサル アレクサンドロス大王 そして カール大帝である。ドイツとフランスにおいて重要な大帝 それがカール大帝だった。ゲルマンの民族のフランク王国だが、異民族であった。では、なぜそこに根づけたのか?

 それは、そこにローマ教皇がいるからである。ローマ教皇も西ローマ帝国がなくなり、スポンサーがいなくなった。ローマ教皇は精神的権威ではあるが、武力を持ってなかった。だから、武力の後ろ盾が欲しかったのである。

 ローマ教皇は武力を持ち合わせたカール大帝を認め、対等な関係になろうとした。カール大帝はローマ教皇に認められたことで、よそ者が来たと言われなくなった。

・カノッサの屈辱

 その中で、ローマ教皇の力をしっかりと見せることになる時代がやってくる。

フランク王国はさらにドイツ、フランス、イタリアに分かれた。その上でローマ教皇が言った。

「次は誰を認めようかな」お墨付きを与えて守ってもらおうとした。

「ドイツくん。あなた認めてあげるから守ってね」

 そのドイツには栄光のローマ帝国の名前と冠を与え、神聖ローマ帝国という名前までつけた。

 そこで、神聖ローマ皇帝とローマ教皇 どちらが偉いの?問題が起こる。

 神聖ローマ皇帝がやったことに対して、ローマ教皇が怒った。

ローマ教皇「そんな事をやるんだったら破門です!」と。

 破門にされた神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇のいるカノッサ城の前に行き、謝った。辺りに雪が積もっていた。皇帝は反省の表れとして、裸足で謝りに行った。3日間謝罪し続け、許しを得ることができた。

これがカノッサ城における皇帝の屈辱 略して カノッサの屈辱 である。

 これは何を象徴しているかというと、圧倒的に絶頂をむかえ、政治のトップである皇帝をも宗教のトップが超えたということを表している。これは人類史上、特筆すべきことなのである。

 宗教とはどういうものなのか? 私たちに突きつけられている1つの出来事である。

To be continue → 🪧道標日記No.443 につづく

地図屋
地図屋

本日もご来店ありがとうございました。

毎日が皆様にとって素敵な日になりますように

それでは

Have a nice dream day.🎫✈️

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