NativeCamp

No.437 7月22日(月) 👂学び直し 世界史 ①−6

地図屋
地図屋

いらっしゃいませ 地図屋でございます。

本日は2024年7月22日(水)道標日記No.437です。 ご来店ありがとうございます。

暑さの質が変わり、外は蝉の大合唱。皆さまの住んでいる地域はいかがでしょうか🌞

 週末はスクーリングを受講した私です。卒業に必要なスクーリングもあと2教科になりまし た。色々な年齢や状況に置かれた方と学び合える通信制大学のスクーリングです。自身の世界を広げてくれ、いつも深い学びがありました。それがあと少しで終わると思うと、寂しいところもあります。ここからはテキスト履修に励みながらも、スクーリングのような学びの機会を探して飛び込み、自分を成長させ続けたいと思います。😌

さて

 今回の道標日記は

🪧道標 【 習慣で夢を叶える 】

👂耳勉強 【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

を紹介させていただいております。

私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。

夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌

🪧道標 【 習慣で夢を叶える 】

今日の道標
今日の道標

🪧習慣で夢を叶える

気持ちや意志の力だけでは、夢への道を歩み続けるのは難しい。

その行動を習慣にしてしまえば、自動で行動に移せるようになり、やらなくては気が済まなくなる。

習慣化は鈍行のように遅いと感じるかもしれないが、夢への直通電車である。

地図屋

Mapさん
Mapさん

Today’s English Diary🇳🇿

Habit formation is the best route to achieving my dreams.

👂耳勉強 【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

地図屋
地図屋

👂今日の耳勉強は

中田敦彦さんのYoutube大学より【世界史①/10】古代・中世ヨーロッパの歴史 【最新版】

・五賢帝時代

ローマ帝国は第12〜16代で最盛期を迎える。五賢帝時代である。

12代 巧みな人材採用をおこない、次代にトラヤヌスを選んだと言われる ネルウァ

13代 五賢帝の中でもトップの業績を誇り、最大の面積を取った攻めの皇帝 トラヤヌス

14代 長い城壁をつくり、異民族から広大な領土を守った 守りの皇帝 ハドリアヌス

15代 特に業績もない、ないことが平和の証である ローマ史上最も平和な時代の皇帝 アントニヌス=ピウス

16代 哲学者ストア派 自信を深く反省し、哲学者であり皇帝である哲人皇帝 マルクス=アウレリウス=アントニヌス

 この五賢帝時代で、5代続く中で自分の子どもにその皇帝の座を譲ったのは、ただ1人、哲人皇帝 マルクス=アウレリウス=アントニヌスだけであった。彼は“自省録”という自分を反省する文章を残し、哲学的だった。だが、1つだけミスをおかした。それは後継者選びをミスった。

天才は世襲でミスる。

 

・覇権を取り、疲弊し、時代が変わる

 そして、五賢帝時代の悩み。それは、領土を広げすぎたことだ。ハドリアヌスが長い城壁をつくったが、常に方々から異民族から攻められ続け、哲人皇帝の時代には防戦一方でヘトヘトになっていた。

 ローマ帝国はどんどんくたびれていった。そのあまりにも大きな領土、あまりにも大きな権力をコントロールすることができなくなった。

 この世界史は、

『覇権を取った国が大きくなりすぎて肥大化するとコントロールができなくなってくる』

このミスを常にしている。自分の身の丈以上にエリアを広げた結果、疲弊していき時代が変わる。これの連続であり、現在であってもこれが続いているのではないだろうか。

ローマ皇帝がしぼれてきた時、何が広まっていたか。それが、キリスト教である。

・増税と弾圧

 ローマ帝国はどんどん財政難になっていった。財政難になるとどうなるのか?

財政難になった国は増税を始める。(どこの国の話!?)増税をくり返し、民はボロボロになっていく。 

「愛がほしい、、、」 「愛は神が与えてくれるよ」 「えっ?」

 ローマ神話は色々な神が登場したが、本当に必要なのは、ただ一つ愛を与えてくれる神なのではないだろうか?

愛を求め、キリスト教に入る人が増えていった。その結果、ローマ皇帝への崇拝以上に神への崇拝が増えた。

ローマ皇帝はキリスト教を弾圧し始める。

「そんな異教の神なんか信じずに、私を信じるのだ」

ローマ皇帝はローマ神話の中の神々の中の1人としておかれていた。ローマ皇帝も神なのである。

 かの有名な暴君ネロ。なぜ暴君と言われたのか?ネロは市民を苦しませたのもあるが、キリスト教を迫害していったのである。この後、キリスト教はヨーロッパ全体の文化を決めていくことになり、ローマ帝国時代にキリスト教を迫害していった皇帝はもれなく“暴君”というあだ名をつけられた。ネロの後の12代皇帝から16代を超え、弱体化していく皇帝たちも迫害を続けていった。 

 しかし、迫害しきれなくなってきた。キリスト教信者の数が増えすぎ、その上でローマ皇帝が弱りまくっていた。

 そしてついに、ミラノ勅令を出し、“キリスト教を認める”ことになる。認めることで、キリスト教徒たちの支持を得てなんとか政権を安定させようとした。

 宗教の母体と結託して政権を安定させる。 このことは今に通じるところがある。

To be continue → 🪧道標日記No.439 につづく

地図屋
地図屋

本日もご来店ありがとうございました。

毎日が皆様にとって素敵な日になりますように

それでは

Have a nice dream day.🎫✈️

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました