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No.380 1月3日(水) 皆さまの無事をお祈りしております

地図屋
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いらっしゃいませ 地図屋でございます。

本日は2024年1月3日(水)道標日記No.380です。 ご来店ありがとうございます。

 

・能登半島地震

 元旦から石川能登で大きな地震があり、今も余震が続いています。

 私はちょうど北陸方面に帰省中の電車の中で地震にあいました。電車の揺れで地震には気づかず、乗客の携帯から地震アラートが一斉になったことで、地震があったことに気がつきました。電車は急停車をし、安全が確認できるまではその場で待機になりました。

トンネルの中で急停車をしたので外の様子は見えず、車内アナウンスだけが頼りでした。家族とお互いを励ましあい、また親族や友人からも「だいじょうぶか?」と連絡がありました。

以前、電車内で長時間待ったニュースを思い出し、食料や飲み物を確認し、携帯の電池が減らないように使用を控えるようにしました。

私が乗った電車は、運よく駅の近くに急停車したので、地震が発生して1時間後、駅までの安全が確認ができたのでとりあえず駅までゆっくりと進みました。そして、「駅に家族などの人が迎えに来れる人は下車しても良い」とアナウンスがありました。家族に連絡をとり、迎えに来てもらい実家に帰ることができました。

 予定より大幅に遅れての帰省になりましたが、私は本当に運が良かった方だと思います。電車の中には、半分ほどの人が残っていました。迎えがあることで解放される喜びを感じている人と途方に暮れている人が混在していてなんとも言えない雰囲気でした。

家族に迎えに来てもらい、使えるようになった携帯や迎えの車のテレビで、地震の状況を知ることができました。阪神淡路や東北の震災を思い出しました。

・何もできない無力感

私は運が良かった方といいましたが、それは他人と比べているから湧いてきた感情だとも複雑になりました。

車内には海外からの旅行者もおり、日本語だけのアナウンスには戸惑っている様子もありました。「Can you speak English?」と聞いて周り、私たち家族のところに辿り着きました。アナウンスがあるたびに、「今はなんて言ったの?」「どこで地震があったの?」「なぜこの電車は動かないの?」と聞きにきました。私はパートナーと英語で伝えようとしましたが、伝えたくても英語で伝えられないところもあり、歯がゆい思いをしました。最寄の駅に到着した時、その外国人の方と別れました。あの後どうなったのか今も気掛かりです。

残った人たちのことも考えました。迎えに来てもらえるようになったことで、私には余裕ができたのでしょう。持っている食料や予備バッテリーを渡そうかとも考えました。しかし、それを残った人全てにはしてあげられないし、自分も家に着くまでに余震で帰れなくなるかもしれない、と考え、悩みました。

しょうがないと言えばそうなのですが、何かしてあげたいけれど何もできない自分に無力感がありました。

・不運が続く

帰省をし、短い時間でしたが親戚家族との時間を過ごしました。また地震で動けなくなるといけないので、すぐに自分の家に帰ることにしました。

帰りの電車は通常通り運転したので、家族で安心したのですが、そこに飛行機衝突のニュースが入って来ました。

年明けからなぜこのようなことばかり起こるのだろうと、さらに気持ちがどんよりしました。今、日本中がそうなっているとも思います。

飛行機事故も被災地に救援に行く飛行機だったと知り、なんとも言えない気持ちになりました。自分自身も運が良かったとは言え、疲れが溜まっていたので、家に着いてからはしばらく何も手付かずで気力が湧きませんでした。

・できることをやろう

この道標日記は1月3日の朝に綴っています。何もできない自分ですが、止まることはやめようと思い、今、この記事を書いています。

悩んでもいい、辛くてもいい。休んでもいい。

でも止まってしまってはいけない。これまでも、行動し続けてきたことで道は開かれてきました。

しばらくは苦しい日々が続くでしょう。私は、私のできることに最善を尽くします。時間が立つといい意味でも悪い意味でも忘れていきます。この苦しい経験を無駄にせず、今の自分だから感じられること、できることを探り続けます。

そして、もうこれ以上苦しみが広がらないこと、全ての人の心の平和を願っています。

地図屋

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