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No.451 9月9日(月) 👂古代・中世 中東の歴史 ①

地図屋
地図屋

いらっしゃいませ 地図屋でございます。

本日は2024年9月9日(月)道標日記No.451です。 ご来店ありがとうございます。

 昨日は毎月月初めにある通信制大学のレポート試験がありました。家族の協力もあり、なんとか無事に試験を終えた地図屋でございます。なので、今日はほっとした朝を迎えました。

先週は道端で偶然、大学の教授と出会い、また何かが動き出そうとしているのを感じました。それとともに、スクーリングが落ち着き、あとはレポートと卒論だけになり、ちょっとハリがない自分とが交錯して、メンタルが揺らぎそうな予感もしております。先のことを考えると不安になりますが、“今”に注目して、“今できることの最善”を尽くしていきたいです。

今週も皆様にとっても充実した一週間になりますように😌

さて

今回の道標日記は

🪧道標 【 余白をもつ 】

👂学び直し 【世界史②/10】①古代・中世 中東の歴史 1

を紹介させていただいております。

私の習慣が、皆さまの夢のお手伝いになれば幸いです。

夢への地図を描くお店 World Map 5 🗺 どうぞ ゆっくりしていってくださいね😌

🪧道標 【 余白をもつ 】

今日の道標
今日の道標

🪧余白をもつ

インプットはいくらでもできてしまう
意図的に遮断しないといけないほど現代は難しい。

全てから離れ、自分となる時間 余白をつくる。
余白を制したものが、人生を制する。

地図屋

地図屋
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Today’s English Diary🇳🇿

there is the sport festhival in my nersry school in fall.My older styudents practiced about it today.One girl idead come to mind.I thought it was too interesthing.but I though back I shouldn’t praise it.because it is measured by social values.

添削点を日本語で解説してください。

Mapさん
Mapさん

以下に添削点を解説します。

1. **「there is the sport festhival in my nersry school in fall.」**

   – 「sport festhival」は「sports festival」のスペルミスです。

   – 「nersry school」は「nursery school」に訂正する必要があります。

   – 「in fall」の前に「this」があると、特定の秋を指していることがわかりやすくなります。

   – 訂正案: “There is a sports festival at my nursery school this fall.”

2. **「my older styudents practiced about it today.」**

   – 「older styudents」は「older students」のスペルミスです。

   – 「practiced about it」は「practiced for it」に訂正します。「practice for」は、特定のイベントに向けて練習する際に使われます。

   – 訂正案: “My older students practiced for it today.”

3. **「One girl idead come to mind.」**

   – 「idead come to mind」は不自然な表現です。「An idea came to one girl’s mind.」が正しい表現です。

   – 訂正案: “An idea came to one girl’s mind.”

4. **「I thought it was too interesthing.」**

   – 「interesthing」は「interesting」のスペルミスです。

   – 「too interesting」は「非常に面白い」という意味ですが、ここでは「非常に」は不要かと思われます。

   – 訂正案: “I thought it was very interesting.”

5. **「but I though back I shouldn’t praise it.」**

   – 「though」は「thought」に訂正します。

   – 「thought back」は自然ではなく、「then I thought」や「but on second thought」にするとより自然な表現になります。

   – 訂正案: “But then I thought I shouldn’t praise it.”

6. **「because it is measured by social values.」**

   – 「it is measured by social values」は少し曖昧な表現です。「社会的な価値観で測られる」という意味をもう少し具体的に表現するとよいでしょう。たとえば、「社会的な価値観によって評価されるから」など。

   – 訂正案: “because it is judged by social values.”

全体的な訂正文:

“There is a sports festival at my nursery school this fall. My older students practiced for it today. An idea came to one girl’s mind, and I thought it was very interesting. But then I thought I shouldn’t praise it because it is judged by social values.”

👂学び直し 【世界史②/10】①古代・中世 中東の歴史 1

地図屋
地図屋

👂今日の耳勉強は

中田敦彦さんのYouTube大学の【世界史②/10】①古代・中世 中東の歴史 1

・中東はヨーロッパの永遠のライバル

 中緯度帯にできた四大文明(エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明)は今においても重要なエリアである。中東はどのような進化を遂げてきたのか?

中東のキャッチコピー それは “ヨーロッパの永遠のライバル”

 それは土地的にも、政治的にも、宗教的にも完全にライバルだったからである。

・ハンブラビ法は半沢直樹防止法

 メソポタミア文明は、世界最古の文字と言われる楔形文字があり、そして、「目には目を歯には歯を」で有名なハンブラビ法典がある。(ハンブラビ法典は本ではなく石碑に刻まれているもの)

 実は「目をやられたらやりかえせ」という残虐なものではなく、“何かやられたら倍返しするのはやめなさい。同じくらいで止めておきなさい”という、等倍返し法なのである。

・間接統治

 ペルシアの前にアッシリアという国があった。アッシリアは早々に滅びた国だった。アッシリアは征服した国や植民地に対して残虐の限りを尽くし、恨みを買いまくって滅びたのである。その次に出てきたのがアケネメス朝ペルシアであり、この国のダレイオス一世が非常に優秀な人であった。

 ダレイオス一世はアッシリアのようなことはしなかった。征服した土地をその土地の人間に治めさせた(間接統治)。

 ヨーロッパでいうギリシャアテネに都市国家ができていた時代に、ダレイオス一世は巨大な国をつくり、さらに間接統治まで行なっていた。

 残酷な処刑や尋問は人類の中で段々となくなっていく。それはとてつもなく恨みを買うからである。それを当時の権力者はわかっていた。メソポタミアのハンブラビでさえも、恨みや復讐の恐ろしさを知っていたのである。それを高どに政治に活かしたのがダレイオス1世である。

 さらに各土地に知事を置き(サトラップ)、その知事を監査する“王の目”“王の耳”という監視役までつけ、地方を統治した。メソポタミア、エジプト、パレスチナなど、中東の文化や政治レベルの高さはすごいものがある。

 しかし、“王の目”“王の耳”のもってしても、サトラップの反乱などがあり、結果的にはアケメネス朝ペルシアは滅びていく。

 ただ、重要なのは、“中東はどこが覇権を握っていたのか?”ということを把握できているかどうかである。

 中東の派遣はペルシャと言われていたが実はイランなのであった。イランは中東においても非常に独自の動きをしていた。サウジアラビアやUAEといったエジプトと色々あるが、アラビア語を使うアラブ人である。しかし、イランはペルシア語である。このアラビア語とペルシア語の違いがある。

 この後の歴史に出てくるイスラム教でも、多数派であるスンナ派はサウジアラビアやUAEであるが、少数派であるシーア派はペルシャ語なのである。

 国のイメージとは様々なものがあり、日本人は几帳面であったり、黒人はクローズドなど色々あるかもしれない。(これはイメージなので確かなものではない)イランのプライドが高いという国のイメージがある(らしい)。それはどこから由来しているかというと、この古代において大帝国を持っていたことからきている。古代の序盤はイランが強かったが、それを一度崩されたのが、マケドニアのアレクサンドロス大王によってである。

アレクサンドロスがいなくなった後、パルティアという遊牧系のイラン人の国ができた。パルティアはカエサルの時代の共和政ローマなどと戦った。

その次に出てきたのが、ササン朝ペルシアである。このササン朝ペルシアとローマ帝国がライバルなのである。イランはローマ帝国と戦ったことがあるというプライドがある。大きくなりすぎたローマ帝国はハドリアヌスが長壁を築いたりしたが、色々なところから責められボロボロの状態になっていく。その一つがササン朝ペルシアである。

このササン朝ペルシアとローマ帝国の争いが生んだものがある。それがイスラム教である

To be continue🗺️

地図屋
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本日もご来店ありがとうございました。

毎日が皆様にとって素敵な日になりますように

それでは

Have a nice dream day.🎫✈️

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