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🗺どん底に落ちたからこそ気づいた感謝の気持ち

地図屋
地図屋

いらっしゃいませ 地図屋でございます。

今回の記事では、私が退職や将来のことを考えすぎて、不安が高まり、その時に感じたことを綴っています。

私がどのように不安と向き合ったのか。そして気づいた感謝をお伝えさせていただきます。

同じような状況になった方の、お役に立てれば幸いです。

“不安” それは突然やってきました

 この記事を書いているのが2023年3月1日。その前日の2月28日に私は眠れませんでした。

 4月には退職し、通信教育に通う予定でしたが、この年度末の繁忙期と、いざ退職を目の前にした時に、強烈な不安に襲われました。

お金が持つのか、節約生活をガマンできるのか、ニュージーランドに行けるのか、資格は取れるのか、退職しなければよかったのか。

 あまり良くは知りませんが、パニック障害のような状態になっていたのかもしれません。落ち着いて座っていられることも難しく、寝ていても、モヤモヤがとまらなくて、ることもできず、いつもの習慣にも手がつきませんでした。

そうなるとますます不安になり、胃が縮こまり、熱くなる感覚も出てきました。

 じっとしていられる事ができずに、朝の3時に起きたり、家族の寝顔を見に行ったり、朝活中にも座っていられなくて、外へ飛び出しました。暗い中を歩いて、空を見上げ、落ち着こうとしている自分がいました。

太陽が出て、家族が起きてくると、やっと落ち着いてきました。胃の暑さも止まり、考えすぎることもなくなりました。

そのまま仕事へ

 睡眠も足りず、最悪のコンディションで仕事へ行きました。

仕事中にも不安が沸々と湧き上がる感覚があり、心のザワザワがやってきたら、身体を動かしてゴマかしました。他の人の昼食を見ると吐きそうになるので、その場から離れるようにしました。

 仕事中はまだ気持ちがそれやすかったのでパニックになることなく、なんとかその日の仕事を終えた感じでした。

数年前の繁忙期にも同じような症状が出たことがあるので、お守りがわりになればと、その日のうちに胃薬をもらいに病院に行きました。

お医者さんにも『ストレスかもしれない』と伝え、胃酸を抑える薬を処方してもらいました。薬をもらえたことで、『また胃が痛くなっても大丈夫。ご飯が食べられるようになる。今日は寝られる』と、安心し救われる思いがしました。

不安になっている自分を家族に話す

その弱っている自分を、家族みんなに伝えたことも、最終的によかったのだと思います。『大丈夫?』『なんとかなるって。』優しくて、前向きな言葉に感謝し、涙が出そうになりました。妻は「大丈夫!いざとなったら働けばいいんやし」最大級で前向きな言葉をかけてくれました。

子どもたちも心配してくれて「お父さんが僕に言ってるみたいにコツコツやったらいいんやで。」と声をかけてくれました。後から思い返すと、お小遣いもいらないと言ってくれていました。

睡眠不足もあったので、早めに布団に入りました。「今日は寝られるかな、、、」の不安は小さくなっていて、寝る事ができました。

 いつも通りの時間に目覚めた時には、ホッとし、これまでの気づかなかった当たり前の生活に感謝の気持ちが湧いてきました。

どん底に落ちたからこそ気づいた“感謝”

“寝られる”ということ

 睡眠が取れていないと、より不安を感じやすくなります。そらに、動き続けないと落ち着かないので、体力の消耗も激しくなります。生活や仕事のパーフォーマンスは落ち、失敗や不満足さが続くと、より不安が大きくなります。

不安と向き合うために、薬というお守りと、家族の支えを持って、布団に向かいました。その時には、今日は寝れそうな気がしました。

 次に目が覚めた時、いつもの朝活の時間に起き、寝れたことに安心したのと、安心して寝れることに感謝をしました。こんな当たり前のことを、いつも何も感じずにいたこと。安心して寝れることの幸せを感じました。 

 その日は寝られるという感謝の気持ちと、寝たことで湧いてきた活力で、優しくも力強いパフォーマンスができました。感謝の気持ちが溢れると、他者への感謝の気持ちが湧き、これがこれまで以上の自分の成長にもなりました。 

“ご飯が食べられる”ということ

 気持ちがどん底まで落ちた時はご飯も食べられなくなりました。食べることが苦痛になったのです。油物を見ると、気持ちが悪くなりました。それでも平静を装い、食べようとするのですが、喉に蓋をされたような感覚があり、少量ずつした口に入れられませんでした。

今まで食べてた量が食べれなくなると、体もやせ、体力も一気に落ちていきました。気力もです。

胃薬を飲み、寝れるようになり、家族に支えてもらい、不安が取り除かれてからご飯を目にした時。お腹が空いていること、食欲があること、「食べれないのでは、、」と不安にならずに安心してご飯が食べれること。これが嬉しくて涙が出そうでした。

一口食べた時の美味しさ。食べ終わった時、心から「ごちそうさまでした」と言葉が出ました。

 自分はいつもこんな美味しいものを食べさせてもらっている。安心できる環境で。大切な人たちと一緒に。

“学べる”ということ

 不安が渦巻き、焦りが止まらず、体の底から何かが湧き出てくる感覚。その状態のままでは、寝ることも、食べることも、そして、勉強することもできませんでした。

 いつもの習慣のルーティンに入れば、この不安な気持ちはなくなり勉強ができるだろうと思っていました。しかし手が震えて、座っていると不安が体の底から湧き上がってきて、座ってはいられず、立ち上がって徘徊していました。

「やはり退職しなければよかった」「変わらない人生を選んでいたら、こんな勉強しなくても。こんな辛い思いしなくても」「資格も取れないかもしれないじゃないか」「自分の選択は間違っていたのでは」 

 次から次へと、不安な言葉が浮かんできて、部屋にいておられず、外に飛び出していました。時間は午前4時。寝巻きに上着だけを羽織り、まだ明るくもなっていない暗い道を歩きました。車が通ると、“死”が連想されて、自分でも心の状態がまずい、危険な状態にあることを感じました。

いつも聴いているYouTubeの耳勉強も聞くことができませんでした。成功者の言葉に耳を傾けることができず「そんな綺麗ごとだけを言って」「あなたたちは成功者だからそんなことが言えるんだ」そんなふうにも思っていました。

座って勉強もできない、気持ちを高めてくれる耳勉強も聴けない。いつもの大切にした習慣や勉強ができない。そんな自分を情けなく感じ、ますます不安と自己否定が高まっていきました。

「もう退職を取り消すこともできない」「自分の選択は間違っていた」どんどん落ちていく感じがしました。

 朝日が登り始め、家族が起きてくるのを感じてか、少しずつ不安が解消されていくのを感じました。それと共に、気持ちがフッと軽くなる隙間を見つけ、その瞬間で、いつものゼロ秒思考とブログの作成をしました。心のどこかで「今、やれることをやろう」と小さくつぶやいてものがあったのかもしれません。

「さっきは手が震えて書けなかったゼロ秒思考が書ける」「ブログを打てている。今だったら書ける」

心が落ち着いたその瞬間で、ゼロ秒思考で不安を書き出せたのがよかったのか、ブログを書けたことが安心になったのか、いつもの習慣をできた安心なのか、行動したことで不安に感じる時間を失くせたのがよかったの、その全てか。朝活を終えた時に、安堵感がありました。

あの時の、不安、焦り、衝動は今でも思いだせば恐ろしく感じます。

そして、あの感覚を覚えているからこそ、不安なく、“勉強”できている瞬間が幸せで、なんともかけがえのない時間へと変わりました。

人間は不安の中では、学ぶこともできない、のだと。

 勉強はいつかできる、もう勉強しなくてもいい。と思う方もおられると思いますが、私は、健康で幸せであればこそ、自分の成長につながる勉強をするべきなのだと思いました。勉強できることは当たり前ではない。勉強できる“安心”があるのなら、すぐにやるべきだと強く感じました。

不安のどん底まで行ったからこそ、“学べる”ことの大切さに気づけました。私は、これからも、死ぬまで勉強し続け、勉強できることに感謝の気持ちを忘れません。

老子の言葉 “足るを知る” を心から実感

“自分の弱さを知ったからこそ、知った“強い優しさ”

寝られること、ご飯が食べられること、そして学べること。いつもの当たり前にやっていることがこんなにも幸せに感じられたことは、自分がこれから歩んでいく人生で大きな財産になると感じました。

そして、やさしくなった自分がいました。

これまでは、自分のことばかり考え、自分は毎日の習慣から成長を感じていたことで、周りの人よりも優越感を感じていたのだと思います。そして「オレはこんなにがんばってるし、がんばることができているのだから、お前もがんばれよ」と、こんなふうに思ったり、態度に表れていたのだと思います。

 自分が精神的にどん底まで落ちた時に、「こんな風に辛い状況のまま生きている人もいる」と、行動や成長しようとしない人に対して、“怠け”だと思っていた自分に、後悔と反省をしました。

 私自身も辛かった時は、毎日の習慣であったYouTubeやSNSを見ることができませんでした。輝かしい人たちを見るのが辛かったのです。 暖かい太陽は一方で、強く焦がすような暑さを持っているのだと。自分も家庭や職場でそうなっていないかと反省しました。

そこから私は“やさしく”なれました。自分がこうして生きているだけでも本当に尊い、感謝すべきことなので、そして周りの人もいてくれることが“奇跡”のようなことなのだ。

何よりも家族に対して思ったのです。こんな私を受け入れ続けてくれていたこと。味方でい続けてくれたこと。支えてくれること。たくさんのことをもらえていたこと。その家族が、ありのままで元気でいてくれていること、これだけで充分な幸せだと思えました。

「自分は充分な幸せの中にいる。だからもっと周りの人のために生きたい」

それまでは、自分を認めてほしくて、自分のペースばかり大切にし、それを見出すために他人を責め、自分の承認欲求のために自分の話ばかりしていました。

「もっと人の話を聞こう」 そう思い、態度を変えたことは、1番に家族に伝わりました。リラックスして、たくさん話をしてくれる家族がいました。自分が弱っていることもありましたが、以前よりも自分が柔らかい雰囲気を出しているのもわかりました。自分が変われば、周りも変わるのだと気づけた瞬間でもありました。

感謝が薄れていく

しかし、時間が経った今、この反省と後悔が薄れている怖さも感じています。なぜあそこまで苦しんで後悔したのに薄れていってしまうのだろう。

 “足るを知る”を心から実感し、充分な幸せを感じたのに、回復し、活力が戻り、行動や習慣ができるようになると、“高みを目指そう”とする自分が帰ってきました。現状から成長したいと思うのは人間の本能なのかもしれません。また感謝の気持ちを忘れ、苦しんでいる人を追い込んでしまう自分になってしまうのではないことが怖いです。

 だから、あの時の辛さと後悔と、何よりも感謝の気持ちを忘れないために、このブログに記事を書くことにしました。この経験は私を成長させてくれたのだから、もし同じことがあった時、“ここ”に帰っていきたいと思います。

まとめ

どん底に落ちた私の記録を書かせていただきました。

 この経験を経て、もっと周りの人に感謝の気持ちを持ち続けられる“強い優しさ”を持ちたいと心から思いました。

同じように、今、不安になっている方がいても、今の私では何もできません。ただあんな苦しい状況になってほしくないと心から願うしかできません。けれど、私は、成長して、不安から戻れることができました。私の経験をお伝えすることしかできませんが、少しでも何かのお役に立てれば幸いです。

 このブログがあること、読んでくださる皆さまがいることに感謝しております。

 すでに満ち足りていた自分を知った時、私はまた一つ大きく成長することができる。

“当たり前にある感謝を忘れないために”。

地図屋
地図屋

本日もご来店ありがとうございました。

私の経験や、このお店が皆さまのお役に立てれば幸いです。

毎日が皆様にとって素敵な日になりますように

それでは

Have a nice dream day.🎫✈️

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